赤鯱新報

【2024年新年特別コラム】「そうさお前らは俺らの誇り」と叫ぶ日々。“ユースチャント”に込められた想い。後編:サッカーが好きというより、グランパスが好き。

https://www3.targma.jp/akasyachi/2024/01/02/post107007/

前編では筆者が個人的に気になっていたユースチャントについて深堀りしていったが、名古屋のユースサポーターの1人、伊藤祐二さんからは他にも多くのエピソードをいただいた。中でも個人チャントにおける選手たちとの心の交流はとても微笑ましく、ぜひとも紹介しておきたいと思う。

伊藤さんに無茶ぶりをする。「お気に入りの曲は何ですか」。無茶ぶりのつもりはなかったが、「この中からお気に入りを出せっていうんすか」と苦笑いされて気づいた。メロディとしては143曲、オリジナルだけでも103曲あるのだ。はいこれです、と出てくるわけがない。スムーズに完成した例としては「菅原由勢ですね。『力強く光輝け菅原由勢』って横断幕なんですけど、ペンキを塗りながら、力強く…光り輝け…、その時ふっとメロディーが降りてきて、『力強く光輝け 菅原由勢さぁ行こうぜ』。あ、これ簡単にできちゃったラッキー!(笑)」というものがあったが、お気に入りとなると難しい。少し考えて、伊藤さんは「僕の中の最高傑作は」と話し始める。2017年の3年生に、水谷友哉というゴールキーパーがいた。

「けっこう負傷がちで、ほとんど試合に出られない子だったんです。そんな彼に頑張ってほしいと、『お前を待ってたんだ その不屈の闘志を 水谷友哉 さぁ立てさぁ起て』というものを作って。あまり本人の前で歌う機会は多くはなかったんですけどね。彼は阪南大学に進学して、そのあとクリアソン新宿に入って、1年で引退しちゃうんです。ただ、クラブに加入した時の水谷くんのインタビューがHPにあって、そこにはユースで応援されていたこと、個人チャントのことが触れられていて。こちらの思いが倍盛りぐらいに伝わっててくれたんです。彼の心を震わせられていたんだなって思いました。チャントってただの音楽じゃなくて、サポーターが歌って、選手の鼓膜を揺らして、心を揺らして、選手が良いプレーを見せたらまた俺らの心が揺れて、また歌って、また選手の鼓膜を揺らして…っていう無限ループだと思うんです。それをどんどんやっていって、ただの“音楽”から“チャント”になる。だから、コロナの最中は歌えなかったから、チャントを作ることがどうしてもできなくて。作ってあげられなかった選手たちには本当に申し訳なかったんですけど。でも、だからこそチャントってこういうものだと思って作ったものは、水谷くんには十二分に伝わっていたと思えた。歌詞に“不屈”と“闘志”って言葉がありますけど、彼はキーパーグローブに大学の頃から、“不屈闘志”って刺繍を入れてくれてもいたんです」

ただの音楽からチャントへ、という考え方はとても興味深いものだった。急に話の毛色は変わるが、名古屋のユースチャントはオリジナルがゆえに面白い響き方をするらしい。たとえば2016年の青山夕祐のものは「オーオオーオオオオーオーオーオー青山夕祐 ラーララーララララーラー青山夕祐」というものだが、伊藤さんはこの曲がとにかく好きだという。しかし見ての通り、字面だけ見ると意味自体はほとんどない。当時、これを「できた!」とSNSでつぶやくと、青山の友達に「夕祐のチャントは”オー”と”ラ”しかないじゃないか」といじられた。だが、実際に歌い始めて、試合映像などが動画で見られるようになってくると、同じ友達から「すげえいい曲」と絶賛されたという。「ユースとまったく関係ないところでそういう風に思ってくれたんだから、やっぱ良い曲できたんだなって」と喜ぶ一方で、伊藤さんはひとつ達観したところもあったという。

「みんなに認められたというか、歌いやすいものだと認識されたら、もう本物だと思うんです。大学とか高校サッカーとかでもけっこう使われてたりするらしいんですよ、名古屋のユースチャントって。そうやって1人歩きし出したら、本物なんだろうなと。ウチの選手が大学に行って、そこで自分のチャントを歌ってもらって、そのチャントがまた別の子に引き継がれていったら、そこでさらにまた生きていくわけじゃないですか。僕のはオリジナルだから、もともとあるものを真似するより新鮮にも聞こえるんだろうし、聞いたことないから真似されたチャントが逆にオリジナルっぽく聞こえたりもして、だから最初はちょっと嫌だったんです(笑)。でもだんだん、そうなることはポジティブなことなのかなっていう風に、最近はようやく考えられるようになりましたね。ユースの選手がグラウンドに来る時、自分のじゃない仲間のチャントを歌ってたりもするんですよ?(笑)」

とにかくバイタリティーにあふれるユースサポーターの方々は、選手たちを応援するべく文字通り東奔西走する。横断幕や太鼓があるため移動は車。「もうね、広島までは近所」はトップチームのサポーターも同じかもしれないが、「指宿よりは何なら(青森)山田の方が30分近い」はもう理解の範疇を超えていた。当然、聞きたくなるのはこれからも続けていくんですよね? という質問である。愚問であるとは承知の上で、純粋に聞きたくなってしまったから仕方ない。「やり始めた理由はお話しした通りなので、そのベクトルが自分にあるからやり続けますよね」。だから、と伊藤さんは続ける。深い、深い心情と信条が、そこから綴られる。

「やる理由があるから続けてるって感じですね。いつまでやるんですかって言われたら、やっぱり辞める理由が見つからない限りは続けるでしょう。それが家庭の事情なのか、お金の事情なのか。昔から公言してるのは、チームからやめてくださいって言われたら辞めます。それは一応、信条として持ってはいます。たぶんね、僕はサッカーはそこまで好きじゃないんですよ。グランパスが好きなんです。そういう前提があって、何万人の中の1人なのか、100人の中の1人なのかというようなことを言いましたけど、自分がやりたいのは100人に1人の方で。だから例えばユースのゴール裏が何千人って規模になったら、心境に変化は起こると思います。バトンタッチできる人がいればって感じですかね。でも、そんなヤツは現れないって仲間に言われました(笑)」

伊藤さんはまだ40代前半。とある古参サポーターのことを思い浮かべて、「まだあの方の歳になるまで、こんだけの時間があるって考えたら、まだまだだな」とほほ笑む。2000年を起点に考えれば、今季で24年目。次の世代の新たなチャントは着々と準備が進み、披露の時を待っている。3年生は全員分、下級生も活躍すると前倒しで作る。昨季は杉浦駿吾や池間叶、伊澤翔登、西森悠斗が“選ばれし者”となった。「3年になる前に曲を作ってもらうのは1つのステータスと思ってほしいなって気持ちが実はあります(笑)」。そのために頑張ってほしいとは言わないが、ひとつのモチベーションになってくれたら嬉しい。ささやかで控えめな気持ちは、高校生に寄り添うサポーター心をそのまま映しているようで美しい。

最後に聞いた質問の答えも、まさしくその心根に沿ったものだった。これからもユースサポーター、彼らのやや荒っぽい言い方を敢えて引用すれば、“ユースバカ”を続けていくにあたっての、思いはどんなものなのか。サポートという言葉をそのまま体現する人々は、どこまで行っても「共に闘おう」という軸足を崩すことはない。

「これからも変わんないと思います。主人公はやっぱりピッチ上の選手なんで。サポーターっていうのは、その選手たちが活躍するためにやってるわけだし、自分としての野望なんてないです。でも“グランパスユース”、名古屋U-18が少しでも周りから見て魅力的なものとして見られてほしいという気持ちはあって、自分たちの応援がそのパーツのひとつになっていたら嬉しいなって思う部分も前からあって。ジュニアユース世代の選手が、名古屋から誘われてる、ガンバからも誘われてる、川崎からも誘われてるってなった時に、『グランパスに行ったらああいうサポーターがいるんだ』って、ほんのちょっっっっとでも、思ってもらえて、それがプラスになっているんだったとしたら嬉しいなって思いはあります」

そして「ぜひ彼らの試合を多くのサポーターに見に来てほしい。見られることが彼らの力になるから」と続ける。これからも伊藤さんは太鼓を打ち鳴らし、歌い続ける。同じ思いを共有してくれる仲間たちとともに、想いをたっぷりと込めて。トップチームにも多くのストーリーが生まれてきたように、アカデミーでもまたチャントにまつわる、サポーターにまつわるストーリーはこれまでも、これからも刻まれ続けていく。

reported by 今井雄一朗

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