「川崎フットボールアディクト」

モトスミ・オズ通り商店街でタペストリー交換。吉田明宏社長も参加【#オフログ】

■タペストリー交換

4月16日に元住吉駅前のモトスミ・オズ通り商店街でタペストリーの交換が行われた。通常は2月ごろに行われてきたものだが、今季は諸事情により遅れていた。

クラブからは社員や後援会の4人に加え吉田明宏社長も参加。さらに名古屋戦を前に社長補佐として地域コミュニティ担当に新任された長谷川幸雄さんの姿も。長谷川さんは事業部長として長らくフロンターレと地域の橋渡し役を担ってきた方で、横断幕掲出を契機に吉田社長肝いりで就任したという。適材適所の人選なのは間違いない。

今回交換するタペストリーは30枚程度で、参加者を3グループに分けてそれぞれで実施。1時間程度で全てのタペストリーの交換を終わらせている。

元住吉駅前には今回タペストリーを交換したモトスミ・オズ通り商店街と、モトスミ・ブレーメン通り商店街の2つの商店街があるが、ブレーメン通り商店街が当時のヴェルディ川崎を応援していた一方で、オズ通り商店街については昔からフロンターレを応援してきたと商店街の柳沢正高さん。

話は変わるが、横断幕掲出後、吉田社長はサポーターとの会合を複数回実施。名古屋戦後も話し合いの場が持たれたという。また、コロナで出られなかった川崎市内にこれからは社員全員が積極的に出ていく方向で方針を転換したとのこと。地域との距離感を縮められるよう、働きかけていきたいとしている。

そんな吉田社長は自ら脚立を持って積極的にタペストリー交換を行っており、社員の先頭に立って活動されていた。

■業務になるのは違う

ということで、今回の背景について少しばかり。時間軸を少し巻き戻し、名古屋戦前にコールリーダーの海人にタペストリーやポスター掲出などの商店街に関わる活動について聞かせてもらったときのことを改めて書いておく。

商店街の件について当初は事務的なミスなのだろうと考えていた。しかし、海人はそうではないと言う。事務的なミスとはすなわち、張替えの時期を商店街と打ち合わせできていなかったということ。もしくはそうした社内の引き継ぎがコロナなどもあって出来ていなかったのではないかということ。しかし、海人はそうではないという。

社員に担当を割り振り、時期を決めてオートマチックに実施した場合、それが単純な業務になってしまう。もちろん社員なのだから彼らが勤務として行う活動は業務になるのだが、そうではなくて地域との連携の中でやるのが筋じゃないかと言う。組織運営上、効率を考えた場合単純な業務にした方が楽なのだがそれでは意味がないと海人。海人たち川崎華族が求めているそうした理想は概念的にかなり難しい話になるのだが、それが地域に根ざしたクラブとしてのあり方なのではないかと海人は話していた。

ちなみに実際にモトスミ・オズ通り商店街は、タペストリーの交換を商店街側から打診している。もちろんきっかけとしてクラブ側からの働きかけは大事だが、オズ通り商店街が積極的なのはフロンターレというクラブが川崎市にとって必要な存在だと認識しているからで、そうした思いを持つ商店街を一つでも増やせるよう、これからも地域に根ざした活動を続けてほしいと思う。

■解散も覚悟

最後になるが横断幕の後日談として、吉田社長に対し、横断幕を掲出した川崎華族にペナルティを課す必要があるのではないかとの進言もあったという。しかし吉田社長はそれはありえないとの立場を取り、逆に彼らが持つ問題意識を理解するために長時間に渡り膝詰めで話し合っている。もちろんクラブの責任者として、失礼な横断幕掲出の責任を追求し、出入り禁止などの措置を取ることはできたのだろうが、異分子を排除しなかったのはクラブの責任者としての懐の深さに思えた。

なお、横断幕掲出を前にした海人は、川崎華族がクラブからペナルティを受けることを覚悟していると話していた。最悪の場合、それが解散命令で、スタジアムから追放されても仕方ないとも話していた。あの横断幕はそれだけの覚悟がこもった行動だったということは記しておきたい。

いずれにしても、横断幕掲出はフロンターレが、川崎市との関係性を見直すいいきっかけになったようだ。もちろんその真価が問われるのはここからになる。

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参加者に配られたスポンジ

(取材・文・写真/江藤高志)

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