赤鯱新報

【トピックス】田中マルクス闘莉王が引退を発表。“盟友”にして“兄貴分”の楢崎正剛CSFが語る闘莉王との思い出。

本日12月1日、今季はJ2京都でプレーしていた田中マルクス闘莉王が引退を表明した。広島、水戸、浦和を経て2010年に名古屋に移籍してきた日本サッカー史上に残る名センターバックは、2016年のシーズン開幕を前に一度はチームを離れ、厳しい残留争いに生き残るための切り札として名古屋に再来。翌シーズンから京都に戦いの場を移して19年間のプロ生活を闘ってきた。名古屋のリーグ初優勝の立役者であることはもちろんのこと、西野朗監督体制ではキャプテンも務め、約6年半で多くの功績を残してきた男の引退は、多くのレジェンドプレーヤーがスパイクを脱いだ昨季に続き、一つの時代の終わりを感じる大きな出来事だったと言える。

そして闘莉王と言えば楢崎正剛である。親しみを込めて「オヤジ」と呼び慕う姿は家族さながら、あるいは恋人のようでもあった。ケンカをすれば数日は口をきかないなんてことも日常茶飯事。試合で重大なミスを犯した楢崎を、手荒く励ます闘莉王の姿も何度も見た。互いの実力を認め合い、頼るのではなく信頼し合って鉄壁のディフェンスを築いてきたそのプレーぶりは、月並みだが戦友あるいは盟友という表現もしっくりくる。楢崎は一足先に昨季限りでの引退を表明し第二の人生を歩み始めた。発表としては同じ2019年に引退となった闘莉王からはシーズン前から聞いていたようで、「寂しいっちゃあ寂しいですけど、もうね、いい歳だしね(笑)」と穏やかな表情でラストシーズンを見ていたという。

名古屋を応援するすべての人間は幸運だったと思う。日本代表ではなく、クラブチームで楢崎と闘莉王の共闘する姿を応援できたのだから。日々のトレーニングで培われる高度な連係と補完関係、チームに大きな影響力を及ぼしていく能力の高さを目の当たりにして、一人の選手がこれほどまでにグループを変えていくのかと驚かされた。闘莉王の対戦相手としての、浦和の超攻撃的なDFというイメージは味方になってみて大きな間違いだと気づかされた。点を取るスキルはもちろんのこと、細かい駆け引きやゲームメイク、一つのパスの精度とそれが持つ意味、メッセージ。守備とはこういうものだと自ら示す技術の高さ。試合の流れを見る、敵味方すべての選手を見渡す洞察力の鋭さ、およそサッカー選手に必要な要素はすべて持っているのが闘莉王という漢だった。

彼について思い出す言葉やエピソードは尽きない。そして会見で語られたであろう闘莉王自身の言葉に勝るものもない。今回は楢崎CSFが報道陣の問いに答えた「闘莉王引退について」をただお届けしようと思ったのだが、やはり闘莉王という選手については自分も思うところがある。思い出すこともたくさんある。あれほど人間臭くて、情に厚い、そしてサッカーの上手い人が今後どれだけ現れるのだろうかと思う。稀有な存在だった。彼を取材できたのは本当に貴重な経験だった。

ではそろそろ楢崎CSFの言葉を聞いていただこうと思う。日本中の誰よりも彼を理解していたサッカー選手は、その引退の報に触れて何を思うのか。兄貴分の贈る言葉、である。

○楢崎正剛クラブスペシャルフェロー

Q:まずは闘莉王選手の引退の報に触れたその時の気持ちはどのようなものでしたか。
「まあ話は聞いていたんですけどね。シーズン始まる前から。本当は発表してからシーズンに入るって言ってました。今年で辞めますよ、と言ってから1年をやりたかったみたいです。そうすることによってみんなが自分を最後と思って見てくれる、という想いがあったみたいで。それは実現しなかったわけですが。でもアイツらしいですよ。ちゃんと挨拶する場を、というか、そうとわかってもらって、最後の雄姿を見せたいという気持ちがあって、そう望んでいたみたいです」

Q:やはり寂しい気持ちがありますか。
「寂しいっちゃあ寂しいですけど、もうね、いい歳だしね(笑)。いい歳って言ってもオレが去年辞めて、5つ下の闘莉王がその次の年ってことは、もうあと4年はできるはずやろって思うけど。まあ、もうスピードも遅いし走るのも大変そうやから、もうそろそろいいんじゃないですか(笑)」

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