【クラブニュース】丸山祐市がドナルド・マクドナルド・ハウスに訪問。闘病中の子どもたちとその家族を元気づけ、自らの想いも強めるひとときに。
本日11月29日、名古屋市の名古屋大学医学部附属病院に隣接する「ドナルド・マクドナルド・ハウス」に名古屋グランパスの丸山祐市が訪問した。ドナルド・マクドナルド・ハウスとは病気と日々向き合っている入院・通院中の子どもたち、それを支える家族の精神的・肉体的・経済的な負担を減らし、心から安らげる場所として、“第二のわが家”をコンセプトに高度小児医療を行なう病院に隣接している施設で、名大病院などでがんなどの治療をしている子どもたちの家族が利用している。子どもたちは普段は病院に入院し、体調の良い日や外泊許可の取れた日にこの施設で親とともに過ごすことができ、また遠方から名古屋の病院での治療に来ている場合、親がこの施設に宿泊しながら子どもたちの病室へと訪れることもできる。現在の利用者は10家族ほどで、中には島根県から1年近く利用を続けている家族も。名大病院は小児がんの治療において有名で、東京からも治療のために入院する子どももいると言い、1日1人1000円で利用できるこの施設がいかに貴重で重要かがわかる。
丸山は旧知の権田修一がこのドナルド・マクドナルド・ハウスに訪問したことを知り、「僕は全く無知で、まずはシンプルに知りたいと思った」とクラブ関係者に相談。チームドクターなど普段から関係性のある名大病院に「なごやハウス」が隣接していることから訪問が実現。この日は6名の子どもたちとその親たちとの交流の場を設けられる運びになった。同施設を訪れた丸山はまずハウスマネージャーの大森文明さんに施設を案内してもらい、その後子どもたちと対面。「はじめまして、名古屋グランパスはクビになっちゃったんですけど」という苦笑まじりのあいさつにはやや驚かされたが、まずは子どもたちとボールを蹴ることから始まった会は終始笑顔の絶えない穏やかなものに。質問コーナーでは子どもたちからの様々な問いににこやかに答え、中には「次はどのチームに行くか決まってますか」という報道陣も聞きたいものまで。ちなみにこの質問には「取材陣がいるからな」と笑いながら「正直、まだ決まってないので、オファーが来るクラブに」と答えていた。
質問コーナーのあとは記念撮影やサイン会でさらに直に子どもたちと交流した丸山。「次善活動とはまではいかないかもしれないですけど、こういうことへの興味を持つことは大事なことだなとは思います」と今後もこうした活動を続けていく意欲は高まった様子。27日に契約満了が発表されたことについての直接のコメントはなかったが、「東京で引退すると思ってたので、そういった意味でもグランパスに来たのは僕の中でもすごいチャレンジだった」と5年半のキャリアを振り返る一幕も。「子どもを持つ親として少しでも子どもには笑顔でいてほしいなっていう思いがある」とする中では「できる限り現役は長く続けることによって、こういった活動も続けられると思います」と次なる新天地でのプレーに意気込みも見せた。「次の移籍先がもしあるのであれば、そこでもまた新たな子どもたちであったりとの触れ合う機会にはなると思うので。また新たな夢を持って、それが届けられればなと思います」と丸山。名古屋グランパスの選手としての残り少ない期間の中で、こうした有意義な活動を残してくれたことに、我々は感謝したいと思う。
丸山祐市選手
Q:子どもたちからの質問にもあったのですが、改めてこのドナルド・マクドナルド・ハウスに訪問することになったきっかけを教えてください。
「はい。権田修一選手のSNSを拝見させてもらったことが、このドナルド・マクドナルド・ハウスっていうものを知るきっかけになりました。僕は全然、全くの無知だったので、まずはシンプルに知りたい、また子どもたちに交流したいっていう思いがあって、こういうことが実現できました」
Q:「知りたい」と思った理由は?
「まずは自分にも子どもがいるので。そういった意味でもこういう苦しい環境というか、こういうことがあるということが全くわからなかった中で、いろいろな方たちがいる、まずは親として知っておくべきだなっていう風に思ったし、知らない選手もたくさんいるし、一般の方々にも知らない人はいると思うので。 少しでも広がればいいなっていう思いがあって、訪問させていただきました」
Q:実際に訪問しての印象は。
「楽しかった、っていう表現はちょっとおかしいのかもしれないですけど、すごく勉強になりました。この施設は他にも全国にあるので、そういった方たちともしっかりと、もし可能であれば交流をしていきたいなと思いました」
Q:施設の子どもたちと触れ合ってみて、どんな印象がありますか。
「(デモンストレーションで)僕がもっと技術を出せればよかったんですけどね(苦笑)。でも実際に、プロのボールだったりに触れる機会はなかなかないと思うので、良い経験だったり、良い機会になって、子どもたちにより笑顔になってもらえたらいいなと思いました」
Q:子どもたちへのメッセージを送るとしたら、どんな言葉になりますか。
「僕がそこまですごい経験をしてきたわけではないですけど、苦しいこともありますし、楽しいこともあります。そういった意味でも人生を楽しむじゃないですけど、何事もポジティブに捉えて、これからを歩んでいってほしいなとは思います」
Q:このドナルド・マクドナルド・ハウスについてもう少し具体的に、実際にこういう施設があると知って、自分でも調べて、ここはどういう場所だと感じましたか。
「なんて言えばいいんだろう、難しい病気だったり、環境もあって。普通に治せるとか、そうでもなくて。こういう施設というのは、いろいろな人がいる中で、この施設があるってことがすごく大切だなと思ったし、先ほども言いましたけど、子どもを持つ親として少しでも子どもには笑顔でいてほしいなっていう思いがあるので。そういった意味でも、僕はこういった行動をというか。こういう施設があるっていうことだったりに常にいろいろなところでアンテナを張っていきたいなと思いますし、できる限り交流をして、少しでも笑顔になれるようにしていきたいなっていう風には思います。こういう言い方をすると偽善者みたいに聞こえて、あんまり好きじゃないんですけど」
Q:慈善事業や社会貢献活動といったものに対しての興味は今、大きくなっているのでしょうか。
「そうですね。たくさんの、いろいろな方々と知り合う中で、自分だけでは生きていけないっていうのはもちろん重々、皆さんもご承知かとは思います。いろいろな人と関係を持つ、知るというのはすごく重要なことになってくると思うので、慈善活動とはまではいかないかもしれないですけど、こういうことへの興味を持つことは大事なことだなとは思いますし、まあ、僕も歳を取ったなと思います(笑)」
Q:子どもたちの中にはたくさんの質問を考えてきてくれる子もいました。丸山選手に会うのがすごく楽しみにしてくれたってことも嬉しいことでしたね。
「僕自身を知ってる知ってないは別として、サッカー選手が来る、ましてやサッカー選手になることはすごく、子どもたちの夢という部分で上位にある中で、夢を与えるっていうのはサッカー選手にとってはマストなことだと思うので。こういった僕の行動が良かったと言うわけじゃないですし、いろいろな人の手伝いや手間をかけさせる部分もありますけど、こういうことでも夢を与えられる。サッカーをするだけじゃなくて、こういったことを選手が知ること、社会貢献していくっていうのは、大事なことなのかなとは思いました」
Q:元気づけて、夢を与えて、ということができた一方で、丸山選手自身エネルギーだったり、勇気をもらう部分はあったのでは。
「はい、そうですね。そこは何て言えばいいんだろうな。質問をたくさん考えてきてくれて、すごい楽しみにしてきてくれたので。僕の中ではすごく貴重な時間でしたし、日々の活力じゃないですけど、1日、1日、辛いことだったり、ま、僕の辛いことっていえば満了になっちゃうんですけど(苦笑)、それは別として。まあ、辛いこともありますけど、また新たに、元気になれるパワー、大きなパワーを頂いた時間でもありました」
Q:そういった意味での、”次に向けて”というところは。
「そうですね(笑)。まあ、オファーもらえたら、いろいろなとこでやっていきたいなと思いますけど、サッカーは」
Q:夢を与えるのがサッカー選手はマストということですが、丸山選手も次のステップで、またどんどん夢を与えていける存在になっていきたいと。
「(笑)。ま、できる限り現役は長く続けることによって、こういった活動も続けられると思いますし、別に引退したからこういう活動ができないってわけじゃないですけど。そういった意味でもいろいろな、まあ今回はグランパスを離れちゃいますけど、次の移籍先がもしあるのであれば、そこでもまた新たな子どもたちであったりとの触れ合う機会にはなると思うので。また新たな夢を持って、それが届けられればな、とは思います」
Q:ちなみに権田選手とは小学校の頃から知っていたと先ほどの子どもたちとの会話でお話ししていましたが。
「チームとしてはFC東京のジュニアユースに入った時からです。一緒にプレーはしたことないですけど、小学校から一応、お互いに知ってはいたというか。特に話したことはなかったですし、でもお互いに世田谷出身だったので、そういう共通点もあって中学の時に仲良くなったというか。今もインスタなどでつながっていて、ゴンちゃんが世田谷のドナルド・マクドナルド・ハウスに行っていたのでそれで興味を持って。どういった経緯でこういう風になったんですかって話をさせてもらって。そうしたらグランパスと名大病院は提携というか、しているので、つないでいただいてという」
Q:なるほど丸山選手主導の訪問だったのですね。
「そうですね、僕がこう、いきなり広報の方に『お願いします』みたいな感じで話を振って、関心があって、っていう話から始まってます」
Q:子どもたちからの質問の中で「印象に残ってる試合は」というものがあって、2018年の最終戦を挙げていました。あの試合を選んだ理由であるとか、今こうやってもう1回聞かれて、他にも何か思い浮かぶ思い出の試合はありますか。
「うーん…、でも、あれがもう、印象というか…。その、名古屋にいる期間が長いから、より濃くなりました。それこそ僕がリリースのコメントで出した、名古屋での試合に初めて出た、あのサウナのような広島戦だったりとか、758ゴール目を決めた試合とか。広島戦で次男が生まれた時にゴールを決めて、一緒にゆりかごできたっていうのも。もちろんたくさんの思い出は尽きないですけど、でも、あの瑞穂での”あれ”はもう経験したくない、って言い方もどうかわかりませんけど、”あの時”は濃すぎて。それが一番にパンって記憶に出てきたので、子どもたちにはそう伝えましたけど。みんなに伝わっているかどうか。ご両親はこうやってうなずいてくれたんですけど、子どもたちは『?』みたいな(笑)。中村俊輔さんを知らないって反応でちょっとやばいなと思ったんですよ。(好きな選手はと聞かれて)リバウドとかいろいろ出したかったんですけど、リバウドはさすがにちょっとダメだなと思って。相当頭を回して中村俊輔さんって言って、ダメだった(笑)。藤井陽也とか言っとけばよかったかなと(笑)」
Q:5年半名古屋に在籍して、あの残留までの闘いは丸山選手が名古屋に来た理由でもありました。J1残留を託されてという加入だったわけで。
「まあ、託されてというか。自分が試合に飢えていたというのがもちろんありますし、先ほども子どもたちに言いましたけど、僕が関東圏を離れるとは全く思ってなかったので。もう東京で引退すると思ってたので。そういった意味でもグランパスに来たっていうのは僕の中でもすごいチャレンジだったし、よく……5試合ぐらい連勝しても最下位だったので、僕の中ではその時、『嘘だろ』とは思いましたから、よく決断したなとは思います。結果的に残留できたので良い思い出には今はなっていますけど、あれでJ2降格してたら、ちょっと悪い思い出になってますよね。でも、すごく良い思い出にはなっていますね」
Q:もう、丸山選手の中でのグランパスというクラブの大きさ、存在はすごく大きくなっているのでしょうか。
「そうですね。ほんとにいろいろな経験もさせてもらいましたし、ピッチ外のことで言えば、家族のことで言えば子どもが2人生まれたっていうのももちろんあります。そういった意味でも濃い名古屋生活、グランパスの生活だったなとは思います」