【赤鯱探訪】望月嶺臣編②「仲間に『やりやすいな』と思われるプレーを心がけてきました」
LUA footballclub U-15監督
LUA soccer school スクールメインコーチ
望月嶺臣
(2013~2016 名古屋グランパス所属)名古屋グランパスでの在籍期間は実質3年間と短いが、その小柄な身体に詰まった魅力あるサッカーセンスは今でも印象に強い。滋賀の強豪・野州高校では背番号10を背負い、U-17日本代表としても活躍。その高い技術を買ったのは当時のストイコビッチ監督だった。その後、西野朗監督の下では出場機会を増やしたが、監督の解任後には山口、京都、そしてJFLのヴィアティン三重でプレー。まだ26歳と若いが、昨シーズンを限りに現役を引退し、現在は地元の滋賀県で子どもたちにサッカーを教えている。「中学、高校の頃から指導者になりたかったんです」と語る今では2児の父親は、自らが愛してやまないサッカーを伝え、育てる側に戦いのフィールドを移したのである。来春からは中学生年代のチームを率いる監督となる彼に、これまでのキャリア、そして今後の展望を聞きに行った。
赤鯱探訪・望月嶺臣編②「仲間に『やりやすいな』と思われるプレーを心がけてきました」
Q:山口と京都。J2での戦いの中で、自分をどれぐらい表現できたと考えますか。
「全然できる感じではありましたけど、サッカーのスタイルというか、パスをつなぐときは良いんですが、どうしても試合が苦しくなると自分の頭をボールが超えていったりしますし、その時にはスピードやフィジカルが必要になる。それがJ2の戦いではあったので、難しい部分ではありました。試合中に急に戦術が変わったりもあったので、それに対応してプレーをしようとはしていましたが、そういう時にも僕は指導者目線で考えるところがあって。このサッカーするんだったら、例えば僕より技術がなくてもスピードのある選手を使う方がチームはうまく回るよな、とか。でも自分にしかできないことは絶対にあるので、それをやるしかないと思ってやっていました」
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