「川崎フットボールアディクト」

下田恒幸さんと振り返る、2019年前半戦のフロンターレ3/3【対談】

実況アナウンサーとして国内随一の実力を持つ下田恒幸さんと今季のフロンターレについて対談しました。
取材日は15節の札幌戦終了後だったため、19節終了時点の今現在とは若干状況が違っていますがご容赦いただければと思います。
少々長いです。


第3回目は、かなり脇道にそれたところから始まります。

■アカデミーについて

江藤高志
これは個人的な考えなんですが、高校生と大学生の精神的な違いは大きいと思っていて、高校までは子供。でも大学に行くと1人暮らしとか寮生活とかで精神的に伸びる。高卒ルーキーと大卒ルーキーの差は、精神面。もちろん体力面はありますが。4年間親元を離れる経験は大きいんじゃないかなと思ってます。
だからアカデミー向けの寮を作るべきだと言ってるんですよね。バルサのマシアみたいな。久保建英があれだけ大人びているのは親元を離れていたからだとも思いますし。

下田恒幸
自立しているよね、彼は。それは感じる。
江藤高志
日本の高校生は、プロでやる力があると言われてても信じられない。大学に行って、逃げ道を作ろうとする弱さも自立に関係しているんだろうなと思ってます。でもそれは日本の特殊性だということになるんですかね。
下田恒幸
まあ日本の文化だな。そこは世界のフットボールと戦おうという時に根っこの部分でものすごい差になっていると思っていて、高卒でプロになれるという選手も、将来が不安で大学に行ったりする。それは日本がそういう社会だから選択肢としては当然だと思うし、本人がそれでいいと思えばいたって普通だとは思う。だけど、ヨーロッパでやっている若いフットボーラーは大学に行く人はいるけどみんなどこかしらの育成組織にいて、15、16歳からトップチームに上がる事を前提で、日々上を目指して勝負している。それでいざトップから呼ばれたときに「先輩の皆さん、お世話になります」というお客さま感覚ではなくて、トップの連中と対等にやるために来たんだから遠慮なく自分をアピールしますよというメンタリティなんだと思うんですよね。だから日本の育成年代の選手たちの多くとは前提が違っていて、14、5歳の時から「フットボールで食っていくためにやってるんだ」という感覚がそもそものベースにあるんだよ。
江藤高志
強烈にプロを目指せていない、というのはあると思います。
下田恒幸
高校から大学に行って、大学経由でプロに行ければなりましょう、じゃなくてね。だから久保は10代はじめくらいから上でやる前提で物事を考えてきたんだと思いますよ。「ぼくやれてますかね?」じゃなくて「やるんですよ」と。やれるんだけど、今はここが足りてないから、ここがやれてないからここを足しましょうって、ということがわかっていて、少しづづ進化して今があるような気がしてます。
それで言うと、今日の話からは飛躍しちゃうけど、川崎が寮を作ってとかってやるんであれば、そういうのはクラブが一つ方向性を出すのであれば出した方がいいと思いますね。
江藤高志
今、フロンターレお金はあるんですよ。
下田恒幸
いろいろお金使えるんだね。すごいよね。だからこそ使い方だよね。それをうまく使って行きたいですね。
江藤高志
でもあの資金を使って資産を残すと将来的な税負担が増えることになるんです。それは投資であり、リスクでもある。だから寮を作ることもリスクではあるんですよね。とは言え、投資すべきだと思うんですよね。ユースに全国から集めるための寮ではなくて、今と変わらず通えるところから取ればよくて、集団生活をさせるための寮として。
下田恒幸
なるほど。
江藤高志
ただ、フロンターレアカデミーからタレントが出てきているのはすごいと思います。五輪代表だけでも板倉、三好、三笘、田中あたりがそうです。久保建英を加えるのは微妙ですが。18人からOA3人を外した15人の中で言うと、3〜4人入るとするとすごい比率になる。
彼らを鍛えたのが高崎さんという指導者。当時の選手に聞くと、かなり厳しい指導だったようで、子どもたちにとってはつらいものだったようです。ただ、チームで結束してまとまるメリットもあって、ユースまで上がれた選手たちはやっぱり成果を残している。やり抜く力(GRIT)というものが言われてますが、高い負荷に耐えられた選手は伸びるということだと思います。ただ最近では続けさせることに視点がシフトしてるみたいなので、高負荷の指導は今の時代にそぐわないのかもしれませんが。
下田恒幸
ぬるさとも言えるのかな。
江藤高志
若年層に対してどこまで負荷をかけるのか。自立させるのか。研究論文があれば読みたいくらいです。
日本の場合自己責任論を批判するじゃないですか。でも大人になって自立できる個を作るときに、自己責任で何が悪いのかなと思っていて。セーフティネットって社会で助け合いましょう、という話もわかりますが、でも最後は個。
下田恒幸
最後は自分。
江藤高志
生活力をつけなきゃいけないはずなのに、そうなってない。自己責任論ってサッカーにもつながってる気がしてて12、3歳、小学生、中学生くらいからプロで食っていくという自覚を持って、10代からやれるんだという思いでやれるやつがどれくらいいるのかと。久保はその点、10歳の時に行ってますからね。バルサ。そう考えるとあの時からこれで食っていこうと思ってるはずなんですよね。
下田恒幸
もともとそういう感覚を持った子が、そういう文化の中で、人としてどう自立するのかみたいなものも含めて人間教育みたいなものをしているわけでしょ、ヨーロッパのクラブでは。
江藤高志
日本のアカデミーと違うのはバルサとかいろいろな階層があってその都度ふるい落とされている点。日本の場合一度入るとジュニアユースとユースのときに選考があるくらい。最後にトップの関門はありますが、育成年代で積極的に落としていく、ということはない。そこの違いは大きいのかなと。這い上がる、生き残るということではなくて、みんなでがんばりましょう、という文化。
下田恒幸
あと、これはそもそも話がズレますが、日本の場合、向こうみたいにプロフェッショナルのスポーツ選手になることが、文化のベースにない。
ユース年代で教えていた人とかに聞くと、親が深く関わってくるというわけ。例えば自分の子供が試合に出てないと親が口を出してくるのでその対応が大変だと。つまりみんな平等じゃないのか的な?あとは、ユースのチームが結果を出さないと大学の推薦が取れないから結果を出せと親からプレッシャーがかかるとか。これは学歴社会の日本らしい事象だよね。これらは一例だけどそういうことも社会的な背景としてはあるので。
フットボールに関しては、さっきいったピラミッドがベースにあって、そこからふるい落としてプロとして生きていける人間だけが生き残る世界だという前提で作れれば理想ですが、やっぱり日本は、社会的に難しいんだろうなと最近思う。
江藤高志
子供を、自立した個として見ていないのかもしれません。
下田恒幸
こんなことを言うと、高体連から怒られそうだけど、高校サッカーなんてやってたらダメじゃん、と思ってた時期がある。
江藤高志
選手権不要論というか、あの時期にテレビの論理でやる必要があるのかな、というのはぼくも思ってた時期があります。
下田恒幸
でも、そういうことじゃないからね。日本は日本のやってきた文化がある。
江藤高志
選手権にもいい面はありますからね。
下田恒幸
日本の社会は学校体育をベースに歴史が積まれていて、学校体育を下地にした大人のスポーツは会社の福利厚生ってところに根っこがある。それが日本ならではの歴史であり文化。だから、ヨーロッパのフットボールにおけるヒエラルキーの作り方は日本に当てはめようとしても簡単ではない。常に学校スポーツがベースにあって、それは大学も含めて社会に出ていくときの重要なブランドになったりする。

■スタイルの継続問題

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