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【2005年紫熊の戦士】佐藤寿人の初得点は雨の5月に生まれた

2005年新潟戦をレポートした紫熊倶楽部も今や在庫はなく、保存用にファイリングしているこの1冊のみ。

 

雨がシトシトと降り続く5月2日、しかもナイターの清水戦である。サポーターにとっては厳しい環境ではあるが、ぜひスタジアムに足を運んでいただきたい。屋根が一部にしかエディオンスタジアム広島にとって、雨は辛い。でも、過去の歴史をひもとけば、こういう天候の時の広島は、伝統的にいい試合を見せてくれるものだからだ。

たとえば2005年5月1日、新潟戦である。

このシーズン、広島は積極的な補強を行った。CBにジニーニョと池田昇平。MFに茂原岳人。FWにガウボンと佐藤寿人。いずれも実績のある選手たちである。

たとえばジニーニョはサンカエターノで2年連続してブラジル全国選手権で優勝に貢献し、リベルタドーレスカップでも準優勝。すぐれた予測能力とボール奪取技術の華麗さ、ここぞという時の身体の強さも抜群で、広島でもすぐに守備の要として貢献した。池田昇平はユース時代から将来を嘱望された才能で、抜群の強さを誇るストッパー。茂原岳人もプレー強度が高く足下の技術も高いボランチでサッカーの知性に秀でていた。ガウボンも高さがあって足下の技術が高く、運動量も豊富な若者だった。そして佐藤寿人は2年ごしのラブコールに応えてくれたストライカー。前年、J2で20得点を記録しストライカーとして能力を開花。仙台のアイドルとしての地位を確立していただけに、移籍は驚きをもって迎えられたものだ。

このシーズンの指揮をとったのは小野剛監督。屈指の理論派として知られ、28年振りに五輪出場を果たしたアトランタ五輪予選、そして本大会では共に徹底した相手チームの分析を行った。特に最終予選のサウジアラビア戦、本大会のブラジル戦での分析は見事で、チームの勝利に大きく貢献。広島では2003年から指揮をとり、苦しみながらも1年でのJ1復帰を果たした。

この年、小野監督は2001年ワールドユースで西村昭宏監督と共に確立させた1トップ2シャドーのフォーメーションを広島で完成させるべく意気込んでいた。開幕の清水戦では1トップにガウボン、2シャドーに寿人と大木を起用し、トップ下にベット。ボランチにカズと茂原を配置した。だが、試合前に発熱して体調を崩した寿人は本来の動きができず、フォーメーションも機能しない。駒野友一の素晴らしいクロスに茂木弘人が合わせ、なんとか同点に追いついた。

ただ、その後も思惑どおりにはいかない。第4節まで3分1敗、得点は2点。期待の寿人は負傷もあってスタートリストから外れた。池田も小村徳男にとってかわられ、第4節ではガウボンもベンチから外れた。ところが第 5節、ほとんどトレーニングで合わせていなかった4-4-2に変更すると状況が一変する。1ボランチにカズを置くダイヤモンド型の中盤で、トップ下に大木。2トップは前田俊介とガウボンが配置された。この起用が大爆発を呼び、東京Vを相手に4得点。前田俊介、ガウボン、そしてカズが1試合2得点を記録し、シュートも18本浴びせるという強烈な破壊力を見せ付けた。

続く神戸・川崎Fと2試合連続2得点で勝利を重ねて3連勝。第8節のC大阪戦では終了間際に追いつかれて引き分けたとはいえ、流れはつかんだと思われた。

そして迎えたのが新潟戦である。小野監督はここで佐藤寿人を第2節以来の先発に据えた。今思えば、中2日ということもあり、若い前田や茂木を休ませたかったという意図もあるのかもしれない。一方で、小野監督にしてみればどうしても、寿人を成功させたかった。経験豊富で誰にも真似できない得点能力を持つ彼を覚醒させ、エースとして機能させたかったのだ。

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