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森崎和幸物語 第1章(無料)

「この若者の落ち着き払った態度は、どうだろう。入れこむこともなく過緊張もなく、クールに冷静に、ピッチで動いていた。

何よりこの18歳のすごいところは、ボールを失わないこと。タイルソンやルイジーニョといった海千山千のブラジル人が突っかけていっても、何事もなかったかのように、ボールをキープ。こういう姿を見て、カズの力を感じたのだろう。試合が進むにつれて広島の選手たちは、困った時にはカズにボールを預けるようになった。彼はプレーで、周りからの信頼を勝ち得たのだ。

そして、もうひとつ。視野の何と広いことか。相手のプレッシャーがあるなかでスペースをしっかりと見つけ出し、そこに実にやわらかなタッチでボールを供給する。しかもそのプレーが自然に行われていることも素晴らしい。

風間八宏が退団して以来、広島の中盤はパッサーがいなかった。山口敏弘がいるが、彼はどちらかといえばゴール近くで決定的なパスを出すのが仕事。82年ワールドカップのブラジル黄金の4人でいえば、パウロ・ロベルト・ファルカンのような、背筋をピンと伸ばして長短のパスを駆使しながらゲーム全体のストーリーを構築するような、そんな選手はいなかった。

広島の攻撃コンセプトである速攻は、ただ単にバックラインからのロングパスだけがオプションではない。本当は中盤を起点として、長短のパス回しをからめながらゴールにすばやく迫る、という試合をつくりたい。トムソン監督は当初、「ボールをキープするゲームをしたい」と語っていたのだから。

ただ、これまではそれができるタレントがいなかった。しかし、これからはカズがいる。彼を中盤の中心にすえて展開すれば、これまでの広島とは違った顔が、見られるような予感がある。実際、カズ-大久保-藤本でつくった中盤は、気持ちのいいほど、ボールが回った。それも、横浜や磐田のような南米スタイルのものではなく、パスを回すなかでもスピーディーさを感じさせる、実に広島らしい展開だった。冗談ではなく、広島というチームの新しい時代を、このパス回しが感じさせた。その中心にいたのは、まぎれもなく、18歳の若者だった。

また、カズがボールを持てるということは、広島の生命線であるサイド攻撃がより有効になることを意味する。この日、服部が気持ちのいいほど攻撃参加を繰り返していた。それは、藤本というパートナーがいたこともあるが、中盤でボールがキープできるため、ウイングバックが攻撃に参加する時間がつくれたのである。実際、カズと大久保が代わることで、広島のサイド攻撃はなくなり、中盤のボール回しのリズムもなくなった。いかにカズが利いていたか、何よりの証拠であろう」

ここに書かれているように、当時の彼は攻撃の中心となりうる選手だという認識だった。課題は守備だったし、それは本人も周囲も理解していた。だが、今も彼の特長である「ボールを失わない」技術は、当時から明解に表現できていた。

その後、彼は名古屋戦で後半45分、浦和戦では延長戦から11分の出場に終わった。だが天皇杯では4回戦対福岡戦から先発の座をゲット。後半アディショナルタイムに藤本主税の決勝点をアシストすると、清水戦・V川崎戦と3試合連続アシストを記録し、チームの決勝進出の立役者となった。決勝の対名古屋戦では腰痛によって前半45分のプレーに終わったが、天皇杯でのカズは「やれる」ことを十分に証明した。

高校3年生で天皇杯決勝の舞台に立つ。前年度の市川大祐・平松康平(共に清水)に続く史上3人目となる快挙を成し遂げた森崎和幸の未来は、明るかった。U-19日本代表の主力であり、チームで森保一や桑原裕義の後継者としての地位は、約束されていた。彼を中心に、新しい広島の栄光がつくられていく。多くの人々が、そう考えていた。

だが、人生は思ったままには、動かない。

第2章

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