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森崎和幸物語 第1章(無料)

森崎和幸というサッカー選手を考える時、僕は奇妙な感覚に囚われる。

久保竜彦であれば、全く説明不要だった。まず、見てもらえば、多くの人々が彼のプレーに魅了された。スピード、高さ、ダイナミックさ。決まりきったことではなく、何をやるかわからない創造性も持っている。野性味があり、闘志も見えるし、何よりもサッカーをやっているその姿が美しい。

和幸の弟・浩司にしても、その魅力を言うことは難しくない。類い希な技術を彼は、得点をとることに使ってくれるからだ。特に左足の破壊力は今もJ屈指。劇的な場面で彼の左足が炸裂して広島を勝利に導いたことは1度や2度ではない。

青山敏弘についても、そのダイナミックさと強さ、激しさについて語ることができる。千葉和彦や塩谷司、水本裕貴についても、林卓人についても、説明することは可能だろう。

だが、森崎和幸の良さについては、サンフレッチェのサポーターであっても、その本質を理解している人は決して多くないように実感する。カズがどうして通算400試合出場という偉業を達成できるのか。その理由を説明できる人がどれほどいるか。なにせ、プロのサッカー選手が「一緒にプレーするまで、カズさんの凄さがわからなかった」と語っているのだ。

森崎和幸というプロフェッショナルの本質を実感するためには、彼が歩いてきた道をたどるのが本筋だと思う。そこでこのメルマガでは、これから数回にわたり、カズの物語を書いてみたい。

カズは、クラブ史上初の高校生Jリーガーだ。もともとジュニアの頃から弟・浩司と共に広島のサッカー界では非常に有名な存在であり、ユース時代から「将来の広島の屋台骨だ」と評価も高かった。練習でも、バリバリのプロ選手の中でプレーしているにもかかわらず、その技術の高さは秀でていた。自然とカズにボールが集まり、彼を中心としてトレーニングが進んでいた。

1999年11月12日。広島はチャレンジャーズリーグの京都戦を迎えた。これは廃止されたサテライトリーグのかわりに西日本のJクラブが行った若手のためのリーグ戦。ただこの日は、Jリーグの試合まで時間があいたこともあり、対戦相手の京都には後にG大阪の黄金時代を演出したシジクレイをはじめとする外国人選手が3人そろい、他にも三浦知良をはじめとする主力がズラリ。広島もケガの久保竜彦や外国人選手こそ不在だったが、上村健一や服部公太などの主力がピッチに立った。その中で唯一、全くJリーグの出場経験がない選手として起用されたのが、森崎和幸である。

事情とすれば、間近に迫ったG大阪戦を前にリベロのポポヴィッチが負傷し、森保一が出場停止。桑原裕義がボランチから1枚さがってプレーする可能性が高くなっていた。ボランチができる吉田康弘もケガを負っていた。そのため、中盤のポジションが1つ、ポッカリとあいていたわけで、そこにエディ・トムソン監督は森崎和幸という18歳の少年を起用しようとしたのである。京都戦は、そのための「試験」だった。

この時、僕がどんなレポートを書いていたのか。当時、発行していたメールマガジン「Hiroshima Football」から引用したい。

「確かに、先発のカズは当初、相当とまどっていた。緊張からか身体は思うように動かず、相手がボールを持っても、アクションが起こせない。タックルにもいけず、またスペースを埋めることもできない。もちろん、指示も出せない。ユースでは黙っていても集まってくるパスも、この日はカズになかなかわたらない。ファーストタッチまで、試合開始から6分もかかっているのだ。ボランチとして、とても機能しているとはいえなかった。

ああ、硬いなあ。いつもどおり、堂々とやれればなあ。でも、無理ないかなあ。初めてなんだから。そう思っている間に、退屈な前半45分は過ぎた。

ところが、後半。カズは突然、光を放ち始めた。

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