「川崎フットボールアディクト」

【#オフログ】九州サッカー紀行。情熱を煮詰めた先にある純粋さと、それぞれのサッカーとの関わり方


その翌日。早朝に大分を出発し一路宮崎県の高鍋町へ。テゲバジャーロの練習初日を取材させてもらいに南九州大学という学校を訪れた。テゲバジャーロは、廃校になったこの大学の校内にある芝のグラウンドを練習場として使っていた。芝といってもそこにあるのは見渡す限りの枯れた芝生。ただそれにしても、人工芝のグラウンドよりはいいだろう、という判断の元、石崎監督が選んだ練習場だった。

選手たちは午前中に練習を入れ、夕方から夜にかけてアルバイトなどで生活費を稼いでいるのだという。スポナビにて掲載させてもらった石崎監督のインタビュー中、レノファ山口に言及する下りがある。山口の戦いぶりに心を揺さぶられ、無名の山口の選手たちの活躍する姿を見て、地域リーグからでもJで活躍できる選手を育成することができるのだと石崎監督は話していた。お金がないなら無いなりに育成すればいい。テゲバジャーロでの挑戦は、そんな石崎監督の指導哲学が強く滲むものだった。


石崎監督のテゲバジャーロ宮崎での2日目の練習は綾町にある人工芝のグラウンドで行われた。見た目は前日の枯れた芝のグラウンドよりもいいのだが、石崎監督はできれば人工芝のグラウンドでは練習させたくないと話していた。足腰への負担が違うのだという。ただ、綾町のグラウンドは予約をキャンセルすると二度と貸してもらえないらしく、当初の予定通りの練習となっていた。フィジカルコーチによる練習に続き、ボールとフィジカルトレーニングを組み合わせた独自の練習で選手を追い込むのだが、その中に笑いを織り交ぜて場を和ませる。そんな練習で選手たちを鍛えていた。数日後、綾町のフロンターレの合宿地を訪れた石崎監督に話を聞く中で、アルバイトや仕事がなく時間の都合がつく選手たちだけを集め午後も練習をしているのだと話していた。頑張る選手にはとことん手を差し伸べる。ぼくもそうやって石崎監督に助けてもらった一人だ。

前のページ次のページ

1 2 3 4 5
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ