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【THIS IS FOOTBALL】トレーニングを公開する意義(無料)

練習は公開するべきだ。改めて、そう考える。

神奈川の女性サポーターが子宮頸がんにかかった時、彼女の友だちが荒木隼人にメッセージをもらって彼女に届けたエピソードはTSSサンフレッチェ広島公式モバイルサイトに掲載し、反響を呼んだ。だが、そういうサポーターと選手の「近さ」は、サンフレッチェ広島の練習場である吉田サッカー公園の風物詩だ。

もちろん、選手たちからサインをもらったり、一緒に写真を撮ったり。そういう楽しさはある。だが、それだけがサポーターの楽しみなのであれば、練習を非公開にしてサポーターのサービスのために時間をとればいいこと。しかし、求めるのは「サイン」「写真」だけではないのだ。

「選手たちが練習で頑張っている姿を見て、どれほど自分たちが勇気づけられるか」

「試合に出ていない選手たちも一生懸命にやっている。だったら自分も頑張らなきゃって思う」

「私たちはここを【吉田診療所】って呼んでいるんです。辛い時、苦しい時にここに来る。選手の頑張りを見て、みんなの一生懸命な姿を見て、心が癒やされるんです」

受験勉強に疲れた時、あえてここに来て、選手に「頑張れ」と言ってもらえたことで、力を蓄えた人もいる。

選手に「久しぶりだね」と声を掛けられたことに感激し、「一生の宝」と大切にしている人。

そんな人たちが生まれるのは、練習場しかないのだ。

プロのスポーツチームがどうして社会に受け入れられ、存在が許されるのか。勝利とか優勝とか、それは副次的なことである。もっとも大切なのは「感激」を人々にプレゼンテーションできるか否か、だ。勝利や優勝に価値があるのは、それが感激と直結するからである。心を動かすということは、そう簡単にできることではない。だからこそ、人々はそれを欲する。そして人々が欲するものを提供できるからこそ、プロスポーツチームは社会に存在できるわけだ。

もちろん、感動の多くは試合から生まれる。しかし、どんなに素晴らしいプレーヤーよりも、自分の家族や友人の方が大切だ。家族や友人が活躍すれば、それだけで興奮は生まれる。練習場でずっと選手たちを見ているサポーターは、試合会場で見る彼らの姿をより身近に感じ、練習場で笑っている選手たちに親しみを深くし、練習がうまくいかなくて落ち込んでいる彼らを見て励ましたいという気持ちになり、チームを支えているスタッフたちの動きや頑張りを見て、応援したくなる。いつしか彼らを、自分の家族のように、自分の親友であるかのような「身内意識」に芽生える。

昨日のトレーニング会場で、大きな横断幕を持ってきているサポーターがいた。そこには「丸谷拓也」と書かれていて、選手たちに丸谷に対するメッセージを書いてもらっていた。丸谷は今、大分の選手である。しかし広島時代、彼はサポーターに対していつも優しく丁寧に接していた。そして何より、誰よりも厳しいトレーニングを自分に課していた。そのことを、彼がいた当時から見ているサポーターは知っている。だからこそ、今回の引退の報に接し、丸谷のために何かしたいと思い立った。そして丸谷の横断幕にメッセージを書いてもらおうと、吉田サッカー公園までやってきたのだ。

もし練習が非公開なら、普段から誰が頑張っているのか、わからない。たとえ無名であっても、練習で頑張っている姿を見てサポーターになる。そんな物語も、非公開練習からは生まれない。練習場で選手に触れ合ったサポーターのチームへの思いはより深くなる。そういう人々は、ずっとクラブを応援しようという気持ちになってくれる。実際、宮崎キャンプを何気なく見学した少年が、サンフレッチェ広島というチームの頑張りやファンサービスの丁寧さに感激し、それ以来ずっとチームを熱狂的に応援してくれるようになった例も知っている。

新しいファン・サポーターをつくりだす施策は重要だ。しかし、そういう施策と共に、彼らをより深いサポーターにしていく努力をしていかないと、チームを応援する文化は広まらない。練習場という心の交流が存在するツールは、チームをより深く認識してもらい、より深い愛情を感じてもらうには最強そのもの。その武器を、今のJリーグは失いつつある。「勝つための非公開練習」という大義名分のもとに。確かに今年の優勝争いを演じているFC東京も横浜FMも、非公開練習が常だ。しかし、去年まで連覇を続けていた川崎Fも王者鹿島も、基本的には練習を公開している。ペトロヴィッチ監督の札幌は言うまでもない。結果と練習の公開・非公開は関係ない。なのに、多くのチームは練習非公開に傾いている。特に海外から来る監督にその傾向が強い。かつてのイビツァ・オシムやミハイロ・ペトロヴィッチのような思想は、希有な存在となりつつある。

はたして、本当にそれでいいのだろうか。Jリーグ百年構想は、日本という社会に「Jリーグ」という文化を植えつけるための思想ではなかったか。そのためには、いかにJクラブを地域社会に溶け込ませるか、そこが重要なのではないのだろうか。

広島の練習はフル公開である。セットプレーも隠さない。セットプレーの時に映像を撮るのはサポーターにもメディアにも遠慮してもらっているが、スカウティングスタッフが練習場にくれば、分析されるのは当然だ。実際にそういうスカウティング活動によって分析され、苦戦した経緯もある。他のチームが非公開なのにこちらが公開するのはフェアじゃないという感覚もある。それでも城福浩監督は「(相手チームが)見るなら見ろ」というが如くに、トレーニングを全て公開することを決意した。一時は非公開練習を増やしたことがあるが、元々は練習を公開するべきだという考え方。そして実際、トレーニングを公開に戻した夏以降、成績も内容も向上している。来季も引き続き、トレーニングは公開されるだろう。広島の伝統である。

今は確かに、観客動員には苦しんでいる。ただクラブは新スタジアムができる2024年に向けて「いかに多くのサポーターに来ていただくか」というテーマについて取り組んでいることも事実。その時、武器になるのはサポーターの想いの濃さだ。そのための武器となる練習場を、もっともっと、有効に活用したい。強ければ、確かにスタンドは賑やかになる。それは広島も経験ずみだ。しかしプロスポーツクラブにとって重要なのは、成績が低迷してもいかに応援していただくか。そのために、クラブは様々なイベントを用意する。もちろん、重要なことだ、ただ、最も大切なのは、いかにチームが、選手が愛されるか。そこを突き詰めると、もっとも大切なのは試合会場と練習場でのチームのあり方になる。勝利に練習の公開・非公開は関係ない。「練習を見てもらうことによって、選手はうまくなる」と森崎和幸CRMの言葉もある。

練習の公開には、メリットしかないのだ。

 

(了)

 

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