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【新年のご挨拶※無料】新春の富士と、満天の星と

謹んで、新春のお慶びを申し上げます。読者の皆様、本年もよろしくお願いいたします。

2019年1月1日の深夜、富士山の麓。気温はマイナス2度から3度へと移り、空気は冷えに冷えていた。でも、冷えているからこそ、空気の中の塵や淀みが消え去り、僅かな光すら伝播してくれる。

満天の星。真っ暗な空に無数の光。都市から見るオリオン座とはまったくの別物。煌々と草原を照らしてくれていた。オリオン座だけではない。雲一つもない夜空は、光の展覧会のごとき。3等星や4等星どころではなく、6等星、いやもっともっと小さな光すら、はっきりと確かめることができた。

早朝5時を過ぎても、空はまだ漆黒と星のコントラスト。だが、その中でひときわ大きな光があった。月だ。三日月だ。見慣れた光だ。ただ、よくよく見ると、そのすぐ近くに星が確認できた。本来であるならば、月の近くには星は見えない。地球の最も近くにいる星=月が太陽の光を反射して地上に降り注ぐその明るさの前に、他の星の光はかき消される。だが、夜空の王者と言える月のすぐ近くに、三日月の弓のすぐ下に、煌々とした光を発した星がある。金星である。夜明け前、東の空に輝いて昇る朝日の露払いをする「明けの明星」である。しかも、その月と金星の斜め下には木星が光り、富士山の暗影が大きく包み込みながら、夜明けを待つ。

ただただ、言葉もなく、そこに立っていた。

映像にしてしまうと、透き通ったその空気も富士山の雄大さも星のきらめきも月のまばゆさも、なかなか伝わってこない。満天の星という言葉は都市では実感できないが、この場所に来れば言葉の意味がわかる。天を星が覆う。星が天に満ちている。

どんな大画面のテレビでも、たとえ映画であっても、大自然の織りなす雄大さや荘厳さは伝わりきれない。だからこそ、多くの人がそこにいく。氷点下の夜、富士山の麓にある「ふもとっぱら」キャンプ場には2000近くのテントが集結した。クルマでしか行けないような場所に、富士山と自然しかない場所に、多くの人たちがテントをもってやってくる。わざわざ、不便な生活を余儀なくされても、人々はそこにくる。

サッカーは、日常の中にある祭りである。富士山の麓に行くのとは、頻度も違うし、準備も違う。「行くぞ」という気合いを入れすぎなくても行ける場所にあることが、非常に重要だ。等々力陸上競技場が満員になるのは、武蔵小杉という急成長している街の駅から徒歩圏内にあるというアクセス効果が非常に大きい。マツダスタジアムは言うまでもないし、プロ野球が平日でも多くの観客を集めるその裏には、野球場の多くが都市の中央部に存在するという事情も大きいのだ。

ただ、いくらアクセスがいい場所にあったとしても、そこに行って何があるのか、そのソフトウエアに価値があるのかないのかで、大きく左右する。そこに行かなければ体験できないものがある。その場所に行けば感動が期待できる。そういう予感があれば、人は足を運びたくなるものだ。そこに行きたいと考えるものなのだ。ふもとっぱらでキャンプをして、夜明け前にそこに立っていないと、暗闇の富士山と満天の星のコラボレーションは体験できない。しかも天候に問題があれば、それどころではなくなる。富士山もまったく見られないかもしれないリスクもある中で、それでも人々はそこに行く。

期待値の高さは、やはり富士山を中心とする大自然のパワーだ。誰もが知っている富士山の美しさ。しかも冬の雪化粧をした富士山は日本の美だ。ただ、もし富士山という著名な存在でなかったとしたら、おそらくは真冬というハードな時期に数千人もの人々が夜を越さない。一方で、真冬のキャンプをどう快適に過ごすかという情報もまた、ネットや雑誌でたくさん発信されている。実際、冬キャンプの人口は右肩上がりで、僕が初めて冬のふもとっぱらを訪れた時は予約など必要はなかったのに、今回は予約しないと入場できないほどの人気ぶりだ。情報の浸透度は圧巻ですらある。

人を集めようと思う時、アクセスが非常に重要であることは言うまでもない。ただ、それが難しい状況にあったとしても、諦めることはない。まず、イベントそのもののパワーと魅力を圧倒的というレベルにまで仕上げること。そしてその魅力をしっかりと伝える工夫をやりぬき、より沢山の人々の期待値をあげていくこと。シンプル。そしてそれが、王道。

2019年、僕はその王道を、徹底して追求していきたいと思います。サンフレッチェ広島を信じ、選手たちを信じ、スタッフを信じ、そして読者の皆さまを信じて、全ての先入観を廃し、あの日の空気のような気持ちをもって、歩いていきたいと思います。

 

(了)

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