【2019年に向けて】松本泰志/17番と8番の狭間
どうして、松本泰志が17番なのだろう。
言うまでもなく、17番は鉄人・服部公太が1998年〜2011年まで背負った番号であり、彼の前は路木龍次で、彼の後はパク・ヒョンジン。広島にとっては「アウトサイド」「左足」の系譜をつなぐ番号だ。だから2016年、野津田岳人が番号を引き継いだ時も違和感はあった。それでも「レフティ」というところで何とか納得性をもたせたいと思っていたのだが、松本泰は左足でもワイドでもない。
聞けば、この背番号は松本泰志自らが望んだという。
「デ・ブライネが好きなので」
淡々と、彼はそう言った。
ケヴィン・デ・ブライネは言うまでもなくベルギー代表のゲームメイカーであり、ロシア・ワールドカップでの日本との死闘で、我が代表にトドメを刺した「ロストフの14秒」の主役でもある。
日本のCKから一気にカウンターを仕掛けた時のベルギーのスピードは空前絶後だったが、それはデ・ブライネのスピードとイコールに近い。しかもトップスピードにありながら冷静に日本とベルギーの選手たちがどういう位置関係にいるかを把握し、ステップを自在に変えて山口蛍の判断を狂わせるパスを右に展開した。あのクールなプレーが印象的なビッグタレントだ。彼がマンチェスター・シティで背負っている17番に憧れて、松本泰志はこの番号を希望したのだという。
だが、その言葉を聞いても、違和感が残った。デ・ブライネは確かに素晴らしいMFではあるが、泰志(松本大弥が加入ししたので、これから彼のことは「泰志」と呼ぶことにする)とはスタイルが違う。もちろん、スタイルの違う選手に憧れても全く問題はないのだが、背番号についてはかつて、違うことを聞いていた。
だから、聞いた。
「8番は希望しなかったの?」
彼はこう言った。
「僕、まだレギュラーじゃないので」
カズは8番を引き継ぐ選手の条件として「チームのレギュラーを獲得した選手」と明言している。そのことを当然、泰志は知っていた。だからこそ、彼はあえて、8番を求めなかったのだ。1998年、服部公太がレギュラーをとった年に生まれた泰志はさすがに、服部の全盛期はわからない。ピンとこないとしても、責められない。
クラブにしてみれば、17番は重要な番号だ。実際、服部が岡山に移籍した後、17番は空き番号に。誰にでも与えられる番号ではないという意識が見える。ただ、パク・ヒョンジンに大きな期待をかけて与えたもののうまくいかず、2016年に受け継いだ野津田はその年に移籍。17番はここ最近、不遇なナンバーになってしまっていた。それは何よりも、偉大な左サイド=服部に対して、とても申し訳ない気持ちになる。
本来、プロのチームスポーツにとっての背番号は「物語の泉」だ。
(残り 2224文字/全文: 3345文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ