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ワープロとパソコン、導入の自分史~記者の毎日 第1回(無料)

最初に買ったのは、パナソニック製のノートワープロだったと思う。当時はまだ珍しかったバックライト付きの液晶で、20行くらいは一気に見ることができる大型のディスプレイがついていたのが、購入の決め手となった。もちろん、ハードディスクなどはなく、データ通信もできない。というか、インターネットなどという存在は、まだ全く知られていなかった頃だ。通信できないことなど、当然の時代である。

そこからパナソニックの最軽量ノートワープロを買った。今のMACBOOKくらいのサイズ(厚さは全く違うが)でプリンターもついて約3キロという重量を実現した優れもので、簡単な表計算や住所録などのデータベース機能もあった。その頃から僕は、このノートワープロと手帳だけをもって会社に行き、情報はできるだけこのワープロに(というか3.5 インチのフロッピーディスク。当時の記憶媒体である)詰め込んでいた。

だが、その頃からワープロに限界を感じていたことも事実である。当時のワープロは、文書保存能力が低く、A4で10ページも書くと書き込みができなくなり、別ファイルとして保存しないといけなかった。その他、様々な制約が多くなり、できないことへの不満が湧いてきた。

そんな時、東芝から発売されたのが「ダイナブック」。当時、世界最小・最軽量とうたわれたノートパソコンである。最軽量とはいっても、僕がもっていたノートワープロと同じくらいの重さだし、プリンターもついていなかった。印刷しても、ノートワープロの方が質も高かったのだが、それでも僕は魅力を感じた。

当時、パソコンは「なんでもできそうだが、何に使っていいのか、わからない」と言われていたし、ビジネス書などにも「ワープロとパソコンなら、圧倒的にワープロ」と言われていた。ジャストシステムから「一太郎」という日本語ワープロソフトが発売されたのが1985年。「ようやく、パソコンで日本語が打てるようになった」と言われたものだが、それでも文書作成能力は圧倒的に日本語ワープロの方が高かった。

だが、ハードディスクを搭載していたパソコンは、テキスト文書であればほぼ無尽蔵に保存可能。いちいち「文書フロッピー」などを差し込んだり、ディスクを探したりする手間を省けることは、ずぼらな僕にとっては本当にありがたいことだったのだ。

さらにこのダイナブックにはモデム機能があった。インターネットはまだ黎明期であり、使うメリットも感じていなかったが、パソコン通信という存在があり、僕は富士通系のニフティサーブのサッカー会議室に入り浸るようになった。それが、今の仕事にもつながっている。そう考えれば、ワープロ→パソコンの流れに乗ったことは、僕の人生の分岐点だったと思う。

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