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城福浩監督の退任に寄せて。

この日、筆者はレジーナのトレーニングを取材していた。大内梨央に好きなものの話を聞くことと、31日に行われるノジマステラ神奈川相模原の試合に向けて、その展望を考える材料が欲しかったからだ。

そんな時、とんでもない知らせが飛び込んできた。

城福浩監督、退任。

まさか。だが、クラブからの公式リリースである。

信じるしかない。

確かに、監督の契約については、常に問題になるのがこの世界の日常。成績が悪い時だけでなく、たとえいい戦績を残していても、監督がいなくなる場合もあるからだ。2001年セカンドステージで3位になった時の監督だったヴァレリー・ニポムニシがシーズン終了後に退団し、山東魯能に引き抜かれたこともある。あの時も、知らせは突然だった。

10月26日、広島と城福浩監督は、新しい道を歩くことを選択した。決断した以上、次に向かうのであれば次へのスタートは早い方がいいというお互いの判断もあったのだろう。シーズン残り5試合を残し、情熱の男は広島を去った。リリースの言葉にあったように「無念」だったと思う。しかし、城福監督ならばきっと、新しくて素晴らしい未来が待っていると信じている。

その未来に向かうためには、やはり休養のための時間が必要だ。ゆっくりと休んで鋭気を養い、エネルギーを回復させることが、今の城福監督には重要だと考える。それほど、彼は4年間、心血を注いで広島のために働いてくれたのだ。

家族と離れ、単身で広島にやってきて、時には夜明け前にクラブハウスに入って練習の準備を行い、相手の分析を入念に続け、選手たちの指導に全神経を集中させた。帰宅はいつも、夜遅く。自宅でもサッカーのこと、広島のことは頭から離れない。欧州サッカーの映像を見て学んだり、チームの状況を自分なりに解析したり。オフの時も、神経は常にサンフレッチェのために、使っていた。

いつも笑顔で振る舞っていた城福監督だったが、常に取材している側からすれば、疲労はやはり見てとれた。見かねて、「僕が夫婦でお世話になっている完全予約制の個室サロンがあるんです。散髪もしてもらえるし、リンパマッサージもやってくれるので、疲れはとれると思いますが、ご紹介しましょうか」と言ったことがある。

実際、紹介したのだが、その後サロンの人にこういう話を聞いた。

まだ予約もしていなかったのに城福監督から連絡があり、「ご紹介してもらったのですが、今月はどうしても時間がとれなくて。改めて時間をつくって必ず行きます」と。「本当に誠実な方なんですね」とサロンの方が感激していた。

そういう人間性は、いつも僕らも感じていた。

とにかく、嘘がつけない。「この質問には答えたくない、答える時期でもない」と思っているなと、表情を見ればすぐにわかる。

それでも、「せっかく質問してくれたのだから」となんとか答えを出そうともがいているが、どうしてもそれができなくて苦笑いしてしまう。だから最近では「では、これはオフレコで」と言うようにしていた。城福監督の困った顔に、質問を重ねることができなくなった。

どんな戦績の時も、彼はいつも記者たちの前に立ち、質問にはまっすぐに答えた。

今は吉田サッカー公園で練習見学ができないが、コロナ禍の前には必ずファミリーたちにサインをして握手や写真撮影にも応じた。

シャイで口下手だからなかなかうまく言葉にはできなかったが、いつもファミリーへの感謝は欠かさなかった。

サポーターグループがチームの戦績や状況について抗議に訪れたことがあったが、「俺が話を聞く」と自ら彼らの前に立ち、話を聞き、そして話をしたこともあった。誠実とは、城福浩のためにあるような言葉だ。

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