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サンフレッチェのボランチはJを代表するボランチ/祝・川辺駿選手日本代表初選出

川辺駿が日本代表初選出となった知らせを受けた時、その情報を川辺自身に伝えた時、城福浩監督は本当に嬉しそうだった。

仕事仲間の記者がその瞬間を撮影した写真を見せてくれたのだが、これ以上ないほどの笑顔。嬉しさが爆発して、笑顔が止まらなかった。

川辺駿のこれ以上ない嬉しさに満ちたインタビューの後、城福監督にも取材。マイクの前に立つと表情を引き締めようとするが、時折こぼれる笑顔までは、止められない。

2018年、川辺が広島に戻ってきた時と城福浩の広島監督就任は重なっていた。磐田で結果を出し、満を持して広島に戻ってきた若者は、もっとも自分が輝く場所と信じていたボランチでレギュラーをつかみ、代表選出を受けて、海外に挑戦したいという夢を持っていた。

だが、指揮官は彼をボランチでは使わなかった。タイキャンプで選手個々の適性と能力を判断し、宮崎キャンプで川辺にサイドハーフでのプレーを命じた。

やろうとした。だが、自分本来のプレーができないと感じた若者のプレーは質が落ち、やがて柴﨑晃誠にポジションをとってかわられる。

うまくいかない現状に苛立ち、悔しさをため込み、練習場で川辺の笑顔を見ることは、極端に少なくなっていた。

「彼がボランチをやりたがっていたのは、百も承知でした」

今、当時のことを指揮官は振り返る。

「どうして、自分がボランチの定位置をとれないのか。なぜ、自分がボランチで使われないのか。ボランチで出るために、何をしないといけないのか。彼は、そこの葛藤と戦いながら、腐らずに消化してくれたと認識しています」

確かに、腐りはしなかった。だが、腐りかけていたことは、事実である。広島に自分の居場所はないと、移籍を考えたこともあった。だが、それでも川辺は踏ん張った。広島で何かを残したい。その強い想いが、彼を踏ん張らせた。

「ハヤオのクオリティはもちろん、認識していました。ただ、Jリーグを代表する選手になるには、足りないものがあると考えたんです」

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