【日々、紫熊倶楽部】記者の存在意義と現場主義
昔、僕が記者という職業を始めた頃、スポーツの現場のリアルを伝えるのは、大手のメディアだけだった。
だが、今は違う。
インターネットでは玉石混交の記事が乱れとび、サポーターの分析は深く、選手自身もSNSで発信する。記者だけが「伝えること」ができた時代と違い、今は誰もが何らかの形で「伝える」ことができる。僕自身、最初は就職情報誌の記者だったわけだが、インターネット前夜のパソコン通信でサッカーについて、サンフレッチェ広島について語っていたことが、今に至るきっかけとなった。もし、ネットの世界がなければ、これほどフリーライターとしてサッカー界で活躍する記者が生まれてきたか、わからない。
この環境下で、記者の存在意義とはなんなのか、はっきりと意識せざるを得ないのは当然のことだ。
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