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【2019紫熊の戦士】林卓人/カリスマ、いよいよ闘う場所へ

GKにもっとも必要なものは何か。

もちろん、GKの専門家であれば、それぞれが一家言、持っているはずである。またフィールドプレーヤーにしてもサポーターにとっても、「GKとは」と問われればきっと、何かを言いたくなる。チームで1人だけ違うユニフォームを着用し、GKしか背負わない番号(1番)を持つポジション。Jリーグでほぼ全てのチームで専門職コーチが常駐するポジション。そういう特別なポジションだからこそ、GKに対しては敬意を表し、畏敬もするが、何かを言いたくなってしまう。

筆者には、技術・戦術的なことはわからない。そこはプロの領域であり、突き詰めればプロフェッショナルにしか口にはできない部分でもある。敬意を表さないといけない部分でもある。ただ一つだけ、曖昧ではあるが「これだな」と思う部分もある。

カリスマ性だ。

砕いて言えば、「彼がとれないボールだったら、仕方がない」という納得感である。よく野球において「あいつが打たれたのなら、仕方がない」とエースに対する信頼感を口にすることがあるが、GKはまさにそれだ。ドイツであれば「ノイアーがとれないのなら仕方がない」。かつてのマンチェスター・ユナイテッドなら「シュマイケルで失点したのならば、しょうがない」。そしてかつての広島であるならば「下田崇がとれないシュートだったら、仕方がないじゃないか」。

逆に言えば、そう納得してしまうほどのGKが存在するチームは、幸せなのである。そんな気持ちにさせてくれるGKなど、そう何人もいるわけではない。そう思わせるほどのプレーを見せてきたからこそ、みんなが納得する。「今までどれだけ助けてくれたんだ」と感じる、それほどの存在がいるなんて、なんという幸運か。

実は過去の歴史において、広島はそういう「カリスマ」に恵まれてきた。代々の1番は全て、そういう納得感を与えてくれる存在だった。前川和也、下田崇、西川周作、そして林卓人。彼ら4人、その全てが日本代表であり、そして全員が歴史にその名前を刻むべき守護神たち。「GK王国・広島」、その面目躍如といっていい。

そして今、2019年の広島には、カリスマの一人である林卓人がいる。幸せである。ただ、その幸せはまだ、実感できていない。彼がまだ、ピッチに立てていないからだ。

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