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林卓人、プロ21年目の幸せ/宮崎キャンプ

林卓人は、ほとんどの場合、グラウンドに現れる最初の選手となる。

筆者の記憶では、それは円熟の境地に達した今だけでなく、彼がルーキーだった2000年の頃から続いている習慣だ。

林卓人が本物のプロフェッショナルだと感じるのは、様々な理由がある。その1つが、この継続力だ。

普通、若い頃とベテランの域に達した頃とは、サッカーに対する考え方も練習への向き合い方も変わるものだ。それは肉体的なこともあるし、メンタル面が変わってくることもある。だが、少なくともサッカーに関して、林はずっと継続している。たとえ、間に10年、広島にいなかった時期があったとしても、2014年からの彼の姿を見ているだけで「ずっと続けてきたんだな」とわかる。

もちろん、18歳の時と38歳の今とでは、練習できる量は違って当然だ。まして彼は、ここまで何度も負傷に襲われている。「明日はもう立てなくなるかもしれない」と語ったのは2019年の時だ。練習をセーブする方向に向かっても不思議ではない。

しかし、確かに居残り練習の量はかつてよりも減ってきたとはいえ、それでも相当なトレーニングを積んでいる。最初にピッチに出てきて、自分の身体と相談しながらギリギリのところまで身体を追い込み、藤原寿徳GKコーチが課す厳しいトレーニングに対してもしっかりと取り組む。その姿は自身よりも17歳年下の大迫敬介と、なんら変わりない。

それができるのは、継続してきたからだ。20年という歴史が、彼の身体の中に刻みこまれているからだ。

広島は、Jが開幕した時から、GK王国である。それはハーフナー・ディドが1986年にマツダサッカー部に加入し、強烈なプロ意識を植え付けたことが大きな転機。その後、望月一頼GKコーチの卓越した育成手腕もあり、前川和也・河野和正・下田崇と一級品のGKを次々に輩出。その伝統を、林はしっかりと受け継いでいる。どんな時も両足を地面につけ、正しいポジションをとり、相手より先に動くこともない。基礎中の基礎。しかし、それを徹底することで広島はGK王国を築いた。

昭和初期に大活躍した不世出の大横綱・双葉山の極意は「後の先」、つまり相手の立ち合いをギリギリまで見極めつつ、自分の間合いに持ち込んで立って勝負の主導権を握るやり方を、望月コーチは広島のGKたちに植え付けた。ギリギリまで動かないことで相手に自分の考えを読ませず、先に動かれても対応できるだけの基礎能力をトレーニングで成長させる。その伝統は、望月コーチ退任以降も下田崇コーチが受け継ぎ、そして下田を尊敬してやまない林卓人が継承している。藤原コーチも、基礎を大切にする考え方は同じである。

「今、疲労がすごくきている。ただ、キャンプだから仕方ないし、これが抜ければコンディションもぐっとあがってくれると思います」

宮崎キャンプ終盤に彼と話をした時、表情が本当に明るかった。ピッチの中で見せる眼光の鋭さはなく、穏やかな表情でマイクの前に立った。それは、彼自身の状態の良さとも関連しているのかもしれない。藤原コーチも「タクトは非常にいいキャンプの入りをしている」と評価していて、トレーニングを見ても現在のところはやはり彼が一番手の評価を得ているといっていい。

しかし、いや、だからこそだろう。トレーニングの質も量も全く落ちない。彼のその姿勢が、大迫敬介や増田卓也、新加入の川浪吾郎らを刺激し、GKチームのトレーニングはさらに厳しく、激しくなっていく。見ている側が息をのみ、時に武者震いが起きるほどの空気感は、林が自然と創ったものだ。

彼に今季の目標はと聞くと「具体的な)目標はそんなに立ててはいないけれど、僕にとっては1年1年が勝負。常に完全燃焼できるように、しっかりとやっていきたい。1分1秒を無駄にしないように、やっていきたい」とらしい言葉を発してきた。

そこで。

1年1年が勝負だということですが、勝負をかけるために、どういうことをやっていきたい?」

この質問に、林の答えは全く予想外の言葉が戻ってきた。

「いやー、まあ、ただただ幸せだということしか、感じていないんですよ、本当に」

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