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大迫敬介を東京五輪に導いた2018年の日々

大迫敬介の武器は、いったい何か。

東京五輪代表選出記者会見では「シュートストップ」と彼は明確に言い切った。それはもちろん、そうなのだろう。他にもハイボールの強さはJ屈指。特にキャッチングについては、まったくブレがない。

ただ誤解を怖れずにいえば、彼の最大の強みは、運(幸運・不運問わず)を活かすために自分を律するメンタルにあると考える。

プロ1年目の2018年、彼は広島のGKチームで4番手だった。試合に絡むどころか、紅白戦にも出られない日々が続いた。U-19日本代表に選出されはしたが、試合に出たのは1試合だけ。この大会でのファーストチョイスは谷晃生(現湘南)であり、大迫はグループリーグ突破した後の3試合目(対イラク戦)のみの出場。試合の立ち上がり、相手ストライカーとの1対1を制して失点を防いだビッグセーブがあったとはいえ、失点ゼロに抑えたとはいえ、決勝トーナメントでは1試合も出られない。

この年の彼は、一見して「不運」とか「不遇」とか、そう感じるかもしれない。実際、彼自身は4番手という位置づけに対して、相当に悔しさを感じていた。彼自身、サッカーを始めて以来、試合に出られない日々がこれほど長く続いたことはない。「認められていない」と感じたこの時期が永遠に続くようにも思った。当時、まだ18歳。普通の青年であれば、モラトリアム(一人前になることを猶予される時期)が許される年齢だが、プロアスリートはそうはいかない。

「自分の同期たちが、カテゴリーが違うとはいえ、もう試合に出ている」

そんな想いが胸に広がっていた。

だが、もし広島に林卓人という偉大な存在がなく、中林洋次(現横浜FM)や廣永遼太郎(現神戸)という実力者がいない環境で、大迫があっさりと試合に出ていたら、どうなっていたか。才能がすぐ開花したか。それは仮の話だから、どうなったかは想像するしかない。ただ、現実として大迫はここで試合に出ていなかった時期こそ、彼の力が蓄えられ、成長に向けての大きなジャンピングボードとなった。

「僕には練習しかない」

毎日毎日、激しくも厳しいトレーニングと向き合った。その日々を筆者はSIGMACLUB(2019年7月号)でこう表現している。


毎日毎日、最後まで練習場に残り、芝生の上に何度も何度も転がっていた。打ち続けられるシュートに敢然と挑み、何度も何度も身体を伸ばし、右手を左手をボールに伸ばして「届け」とばかりに意志を通し続けた。顔には芝生が汗と混じってベッタリと張り付き、土が泥となって混じっていた。


この頃の日々を、彼は1年後、こう振り返っている。

「練習、練習、練習。僕の毎日には練習に満ちていた。そういう意味では、今までとは違って凄く濃い1年間でした」

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