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【緊急集中連載】ミハエル・ミキッチ物語 Part.1

現時点でミキッチが最後に先発したリーグ戦は7月1日の対浦和戦だった。この試合で彼がケガをしてしまったことは、ミキッチにとっても広島にとっても痛かった。

 

彼と初めて出会ったのは、2008年2月9日、トルコ・アンタルヤだったと記憶している。もちろん、そこで彼と言葉をかわしたわけではない。しかし、プレーは実に雄弁だ。

クロアチアナンバーワンのビッグクラブ。ズボニミール・ボバン、ロペルト・プロシネツキ、ダヴォール・シュケルといった歴史的な名選手、さらに現在はレアル・マドリッドで10番を背負うスーパースター=ルカ・モドリッチを輩出するなど、ディナモ・ザグレブはサンフレッチェ広島と比較すれば圧倒的に格上だといっていい。そういうクラブとトレーニングマッチができるのは、このクラブのOBであるミハイロ・ペトロヴィッチ監督の存在あればこそ、だ。

見たこともないような豪奢なホテルの中にある、美しいグラウンド。広島は日々のトレーニング場が毎日日替わりで時にはボロボロの芝生での練習を余儀なくされていたが、ディナモ・ザグレブはホテルの敷地内にある専用グラウンドで毎日、トレーニングできる。そういう環境のところから圧倒されてしまいがちになる。だが選手たちは、全くビビっていなかった。立ち上がりから勢いよく前に出て、「ほぼトップチームのディナモ」(ペトロヴィッチ監督)を圧倒した。その試合のレポートで筆者はこう書いている。

「収穫は攻撃面だ。特に前半、サイドへの大きな展開からビッグチャンスを次々につくった。ボランチの森崎浩司と高柳一誠が激しい守備から相手の攻撃を遅らせ、さらに彼らが素早い切り替えから好パスを連発。そこからのコンビネーションから相手の守備を崩した。
2分、3分、6分、8分。ゴール前に迫力のある飛び込みが続く。13分には、森崎浩司を起点として、桑田慎一朗・李漢宰とつなぎ、その李のクロスに桑田がダイビングヘッドで飛び込む。触れば、確実に1点のシーンだった。29分は、槙野智章の縦パスに抜け出した佐藤寿人が左サイドからクロス。平繁龍一の飛び込みに一瞬合わなかったが、これも「触れば1点」のビッグチャンス。完全に崩していた。
これらの攻撃が結実したのは、38分。李漢宰が中盤に切れ込み、縦パス。そこに飛び出した佐藤寿人が、角度のないところからシュート。決まった瞬間「よっしゃああああ」と叫んだエースの2試合連続ゴールによって、広島が先制点を叩き込んだ」

ところが、ここからディナモ・ザグレブの速攻が牙を剝く。特に右サイドで張った選手が圧倒的なスピードで広島の守備を引き裂いた。試合後、彼と対面した服部公太が「あんなに速い選手と対峙したことはない」と呆然としていたが、異次元とはまさにこのこと。ズタズタにラインを引き裂かれ、服部のカバーに入る槙野智章も、その後ろのストヤノフも、彼を止めることができない。強烈なミドルシュートをはじめ2点を喫し、彼の活躍によってディナモ・ザグレブは広島を4−1と粉砕した。

試合内容そのものは、スコアほどの差はなかった。だが、圧倒的な違いは、広島に「彼」ほどのドリブルをもった選手がいなかったということ。組織でしっかりと守っていても、彼の個人能力がその組織を無力化した。

「すごい選手がいるよね」

服部に声をかけた。

「まあ、ディナモ・ザグレブですからね」

鉄人は苦笑していた。

「ああいう選手は、日本にはいないから」

「まあ、そうですよね。でも、いい経験にはなりましたよ」

この年のトルコキャンプでは、ロコモティフ・モスクワのようなロシアの強豪とも戦えるなど、はるか格上のチームとの試合も経験できた。だが、彼=ミハエル・ミキッチほどの強烈なインパクトを与えた選手はいなかった。翌年、広島は同じクロアチアの強豪=ハイドゥク・スプリトと対戦し、0−8で完敗する。だがこの時はハイドゥクに対して広島がサブチームで戦うというチャレンジを行ったことを差し引いて考えないといけない。圧倒的なスピードと技術を見せ付けたニコラ・カリニッチ(ACミラン)の存在は今も忘れられないが、インパクトは現クロアチア代表のストライカーよりも上だった。

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