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立ち位置が変わるかもしれない2021年/THIS IS FOOTBALL

常に正直で、嘘をつけない男が、来季も指揮をとる。同一チームの監督を4年連続して努めるのは、城福浩監督にとっては初めての経験だ。

今季、彼は選手たちに「タイトルをとろう」と語り懸けてシーズンをスタートした。そのために前線からの守備を敢行し「相手陣内でのサッカー」を打ち出した。

かつて広島では、ミハイロ・ペトロヴィッチが「疑似カウンター」を発想し、ACミランが採用して一世を風靡した「ゾーンプレス」を打破するための戦術を生み出した。このコンセプトを引き継いだ森保一が、森﨑和幸という抜群の戦術家をピッチの中心に置いたことで攻守のバランスをとることに成功。4年で3度の優勝という黄金期をつくった。ペトロヴィッチ監督が覇権を握れなかったのは、広島ではカズが病に倒れた時期と重なり、浦和ではカズほどの「ピッチ上の監督」を見いだせなかったからだ。

広島が相手陣内でのサッカーを志向したのは、1993年〜94年に監督を努めたスチュワート・バクスター監督以来のこと。その後、エディ・トムソンは自陣でブロックを創って堅牢な要塞を築き、久保竜彦という稀代のFWを使ったロングカウンターとセットプレーで得点をとるという超現実路線でチームをJ1に残留させる。

2001年に監督を務めたヴァレリー・ニポムニシは、ほぼ攻撃のトレーニングしかしなかったほどのアタッキングサッカーを目指したが、ボール保持して何かをするというよりも、久保や藤本主税、大木勉やスティーブ・コリカといった能力の高い選手を前線に配し、彼らを利したカウンターで攻撃を構築して1試合平均2得点のラインに到達。一方,前線の選手は攻撃のために攻めのこりしていたため、守備陣は常に数的優位性を保てないという厳しい展開。1試合平均2失点を記録し、シーズン終盤まで残留争いを演じざるをえなかった。

歴史を振り返ってみれば、広島はいつも「カウンター」のチームだった。ペトロヴィッチ監督以降はボールを保持するサッカーに転じたが、それでもラインは低かった。森保監督は何度か、前からボールを捕まえにいくサッカーにチャレンジしたが、うまくいかない。選手たちはあくまで、ペトロヴィッチ流の意識から抜け出せなかった。それがもう難しいと感じたのは2o17年、降格の危機に陥ってからだ。

城福監督の1年目はパトリックを利したロングボール戦術。2年目はボール保持からサイドをとるサッカー。いずれも、ラインは低い。そして今季、おそらくは彼が最もやりたかったサッカーに着手した。ペトロヴィッチ時代を知る選手は青山敏弘だけ。ボール扱いが上手い選手はそろっていたが、一方で献身的に走れる選手も増えた。若い選手たちに「疑似カウンター」はわからない。

だが、「相手陣内でのサッカー」をやるには、前線からプレッシャーをかけるスタイルがどうしても必要。一方で、圧倒的な破壊力を誇るレアンドロ・ペレイラには、その習慣はない。3-4-2-1システムだと前線からのプレッシャーは難しくなることは指揮官もわかっているが、一方でプレスを外された後のブロック形成には有効なフォーメーション。下位には勝てるが上位には粉砕される。そんな状態が7月・8月と続いた。

9月23日の対大分戦での永井龍起用によって、広島はようやく「正解」を見つけた。その正解が正解たる理由を突き付けたのは10月3日の対鳥栖戦。

青山敏弘は言う。

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