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無料記事 FC東京U-18からプロになり10年。野澤英之が28歳で引退を決断「サッカーに対して失礼なことはしたくないと思って自分でケジメをつけました」【練習場から】

「いろいろな感情が込み上げてきて(日産スタジアムのピッチの上で)泣きましたが、みんなにビックリされました(笑)」(野澤英之)

今季はボランチ・2セット4枚の主軸として考えられていたが、脳震盪の影響で離脱する期間が長くなってしまった野澤英之(中央)。吉田達磨監督(左)は「脳震盪の離脱から復活したらすぐに使ったのはヒデ(英之)に対する評価が高かったから。頭がいいし、クール。ブラジル人が無茶苦茶好きなタイプの選手」と話す。

 

ーー今日、野澤英之選手の引退がクラブから発表されました。今季、脳震盪の後遺症で苦しんでいることは知っていましたが引退を決断したのはいつですか?

夏頃から気持ちは固まっていました。脳震盪を何回もやって”次やったらダメ”と思っていました。そのタイミング(5月12日の練習中に予期しないタイミングで側頭部にボールが強く当たり脳震盪を起こす)で、親と妻には話しました。ただ、この状態のまま引退をしたくなくて、一旦はちゃんと復帰をしたかった。引退をいろいろな人に報告したのは2週間前です。

ーー最初に脳震盪になったのはいつですか?

愛媛(2018~19)でプレーしていた時です。愛媛では1ヶ月ほど休んで復帰して問題なくやれましたが、脳震盪を何度か繰り返しました。休めばマシになるんですが徐々にヘディングをすることが”ヤバい”という感覚になっていきました。気持ちが落ちていることも感じました。”このままサッカーを続けていいのかなぁ”と考えていました。そして、今年5月の脳震盪で気持ちが”ブチっ”と切れて”これはダメだ”となって感情的に難しくなりました。サッカーに対する湧き上がってくる気持ちがなくて、”そんなんじゃいけない”と自分を奮い立たせながらやってきました。でも、”ヘディングはもうやったらダメだ”と感じながらの練習でした。

ーー第41節の町田戦(2-1○)は”最後の試合になるかもしれない”という想いがありましたか?

まだ最終戦がホームでありますが、”出し切ろう”と思いました。(吉田)達磨さんには(他の選手とフェアに扱ってもらうために)引退することは言ってなかったんですが高校以来のキャプテンマークを渡されました。オミ(山本英臣)さんと(石川)俊輝くんには少し早いタイミングで伝えていました。

ーー町田戦のプレーを見ると誰もが”まだやれる”と言うでしょうね。

周りの人から分かるところの問題ではないしーーみんなそう言ってくれますがーー幼稚園からサッカーを始めて真剣に向き合ってきましたが、こだわるところにこだわれなくなっていました。サッカーに対して失礼なことはしたくないと思って自分でケジメをつけました。

ーーラストシーズンに天皇杯という物凄く大きなタイトルを取れたことはどう受け止めていますか?

今年はリーグ戦だけで天皇杯は1試合も出てないのでもどかしい気持ちもありましたが、割り切っていて優勝が決まった瞬間は嬉しすぎて久しぶりに泣きました。

ーーどんな感情がこもった涙ですか?

サッカー人生最後のシーズン、試合に出られていない悔しさ…いろいろな感情が込み上げてきて(日産スタジアムのピッチの上で)泣きましたが、みんなにビックリされました(笑)。

ーー”感情を表に出す人なんだ”的な感じで?

そうですね。オミさんと俊輝くんには話していたので、ピッチで抱き合った時に込み上げてきました。俊輝くんには試合前に「(勝利を)頼みます」と伝えていて、試合後に「やったよ」と言われるとドバドバ涙が出てきました。

ーー引退後の方向性は決まっていますか?

正直、何にも決まっていません。指導者の道に進むつもりはなくて、ビジネスでサッカーに関わることができるのもいいし、全く違う仕事でも楽しみです。

ーーアルバイトとかの経験はありますか?

高校時代は勉強とサッカーで忙しくてできなかったし、卒業してプロになったので未経験です。アルバイトとか経験してみたいんですよ。社会人の仕事を経験したいです。社会的には考えられない28歳です(笑)。

ーーFC東京でプロ生活をスタートし、岐阜を経て愛媛でプレーしたから奥さんと出会えたし、甲府で3シーズンプレーしてくれたことが嬉しいです。

いいサッカー人生でした。小さい頃から自分でいろいろなことを決断してきて後悔はないです。

ーー野澤英之選手は常識人だし(当社比)、社会人としてフィットして愛されると思います。どんな時でも取材に気持ちよく応じてくれたことを感謝します。ありがとうございました。

(松尾ジュン)

今季僕が撮った野澤英之の写真で一番気に入っているのがこれ。長身のハンサム・ボランチが新しいステージでVF甲府OBとして元気で機嫌よく活躍することを願っています。

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