山梨フットボール

佐久間悟社長インタビュー「第2次吉田(達磨)政権に求めるものとチーム編成の現状ついて」【コラム&インタビュー】

 

「あの時からやり直すチャンスを貰ったのかなぁと思いました」(佐久間悟社長)

――伊藤彰監督、渋谷洋樹ヘッドコーチ、山岸範之GKコーチは退任して磐田のコーチングスタッフに就任しますが、どう受け止めていますか?

率直な感想としては”残念な気持ち”です。伊藤監督がクラブを去っても渋谷コーチに次期監督をやってもらえると考えていました。最終的には納得はしないけれど、理解はしたというところです。ただ、一方では(2016年は佐久間監督で14位でJ1残留し)2017年に吉田達磨監督に引き継いでもらい、出来る範囲ことはやってもらった。勝ち点1差でJ2に降格したが前年よりは勝ち点は1ポイント上回った。勝ち点に影響を及ぼした判定もあったと感じていましたし、J2降格は受け入れました。そして翌年のJ2では選手が多く入れ替わったなかでやってもらったが、18年はボールを前に運ぶことがなかなかできなかったし、シュートも少なかった。”1年でJ1復帰”を目標に掲げていたので(第11節で)監督交代をせざるを得なかった。

前への推進力を高めるために上野展裕監督(前・鹿児島監督)に頑張ってもらいスタートはよかったが、守備に問題があり、19年から伊藤監督に守備の安定を図ってもらいました。18年の成績(プレーオフ圏6位と12ポイント差の9位)を振り返れば、あのまま吉田監督にやってもらってもよかったと思う結果でした。吉田監督で降格して吉田監督を(解任して)失ってしまったことを考えれば”18年は私が監督をやればよかった”と悔やみ続けた4年間でした。ただ、伊藤監督も渋谷コーチもクラブを去るとなったときに、”あの時からやり直すチャンスを貰ったのかなぁ”と思いました。振り返れば、吉田監督には16年までのスタイルから変えることを求め、18年途中で上野監督に交代したが上手くいかず、19年から就任した伊藤監督は吉田監督がやっていたことの構造を残してくれた。伊藤監督の元で若返りを図りながらチームは成長していった。この現状で、吉田さんが相応しいと思ったのでもう一度お願いしたら引き受けてもらえました。

2018年4月30日、解任後、最後の挨拶のために医大グラウンドを訪れた吉田達磨さんを多くのサポーターが見送った。このときは能力と情熱がある指導者を甲府で成功させることができなくて残念に感じたが、その4年後に続きができる巡り合わせになった。

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