ヴォルティススタジアム

【インタビュー】約20年間、ファインダーを通して徳島を見てきたオフィシャルカメラマン。

2004年にクラブ設立、2005年にJリーグ参戦、2024年は徳島ヴォルティス株式会社が設立20周年を迎えます。シャッターを切り続けてきた上野照文オフィシャルカメラマン。ファインダーを通して、どのような徳島ヴォルティスを見てきたのか取材しました。

聞き手/柏原 敏 取材日/3月29日


Profile
フォトアルテ・グッツィ代表
上野照文

白黒写真の現像ラボ勤務から始まり、1995年に独立して『フォトアルテ・グッツィ』を設立。徳島ヴォルティスでは2005年からオフィシャルカメラマンを担う。

――オフィシャルカメラマンの経歴について聞かせてください
J2参入初年度の開幕からなので、2005年の春頃からオフィシャルカメラマンの仕事をしています。正確にはもう少し前から始動していたので2004年の年末頃からですね。

当時、Jリーグがすべての写真をデジタル撮影しながらデータ化したいという目的があることを聞きました。徳島ヴォルティスがJリーグ参入するにあたっても、デジタルカメラが必須状況という中で見合うカメラマンを探していました。そこからの経緯としては徳島新聞さんからの紹介でした。当時デジタルカメラを扱っているカメラマンが少なかったこと、僕自身が早くからデジタルカメラで仕事を始めていたこと、徳島新聞さんと親しかったことがあって声がかかりました。

僕がデジタルカメラを扱い出したのが2000年より前でした。2000年頃にしっかりした一眼レフで一番普及したのがNikon D1だったと思いますが、僕はコンパクト系のデジタルカメラでそれ以前から仕事を始めていたので1997~98年だったかな。その頃、仕事でデジタルカメラを使っていた人は全然いなかったと思います。

――誰もやっていなかったからこそデジタルにチャレンジしたのですか?
いや、違うんよ(笑)。広告代理店からデジタルカメラを用いて撮影をしたいという相談が先にあって、「やれへんか?」と言われるまではデジタルの『デ』の字もなかったし、PCもちゃんと使ってはいませんでした。独立して間もない頃だったし、仕事になるのであればということで「やりましょう!」となりました。でも、「やりましょう!」とは言ったものの、デジタルカメラやPCを購入する所からで、周囲にデジタルカメラで仕事をしている人はいなかったのでノウハウもまったく無い所からのスタートでした。唯一、徳島新聞さんの写真部が少し前からデジタル化を始めていたことと、親しくしてもらっていたことがあって、いろいろ教えてもらいながら仕事をしていたのを覚えています。

――オフィシャルカメラマン初期のエピソードを聞かせてください。
一番初めに使った一眼レフカメラがNikon D1かCanon 1Dだったと思います。たしかNikon D1で270万画素くらいだったかなぁ。それ以前だと160万画素くらいのカメラで仕事をしていたこともあります。時代が進んで1000万画素を超え始めた時はセンセーショナルでしたね(参考までに最近はiPhone 14 Proが4800万画素を超えるまでに時代が進みました)。

なので初期の頃はヴォルティスの仕事も1年間の写真データが250GB位のハードディスクに収まるくらいの容量でした。今と比べると画質も悪かったですし、トリミング(写真の不要な部分を切り取り、必要な部分のみを表示させる加工)もあまりできなかったですね。連射もコマ数は多くなかったし、1秒5コマくらいだったかな。最新のミラーレス一眼であれば1秒30コマくらい撮れるでしょうね。年々写真容量も大きくなって、今では1年間で3~4TB(1000GB=1TB)は必要になりました。

――最も試行錯誤したのは何ですか?
プロサッカーのスピード感です。アマチュアとは全然違いました。開幕していきなり公式戦というわけにはいかないので練習試合も撮影に行っていました。驚きました。最初、スピード感が速すぎて手に負えなかったです(笑)。「えらいもん引き受けてしまった」と思いましたから(笑)。

それにスピードを追えない難しさというよりも、サッカーの知識がほとんど無かったので始めの頃はサッカーの展開を読めなかったんですよ。攻撃と守備が目まぐるしく変わりますし、パスにしてもどの選手からどの選手へ行くか判断するのが難しかったのを覚えています。今であればどこにカメラを向けるか予想できるようになりましたが、当時はボールを追いかけることに必死でした。

――単焦点レンズと広角レンズと2台構えだったんですか? 初期の頃はどのタイミングでどちらを構えるかなどの判断も難しかったでしょうね。
2台構えでした。今はもっと望遠のレンズを使って撮影していますが、初期の頃は単焦点でも300ミリくらいのレンズで割と広めの画角で撮影していたのでそこまで難しくはなかったかもしれません。ただ、やっぱり難易度は上がるけど、できるだけアップの写真で大きく撮った方が写真としては迫力があります。あとから写真をトリミングすれば簡単なように思うけど、やっぱり広く撮ってあとからトリミングした写真よりも、始めから画角いっぱいに撮った写真を比べたら画質の持っている力が全然違いますからね。

――J参入初期で印象に残っていることは何ですか?
大塚製薬のある川内町の『ブラジルクラブ』で活動していた頃かな(現在はアカデミースタッフが使用)。

当時のスタッフが何人くらいいたかは覚えてないけど、今も残っているスタッフで言うと数名かな。福島くん、柘植くん、吉田さん、増田さん。あとは強化部の岡田くん、谷池くん。福島くんはコーチで、谷池くんは選手としてチーム写真に映ってる。

他には、あるサポーターの方が印象に残っています。

J参入初年度、2005年の第33節・山形戦で親子の4人家族を撮影しました。春野(高知県)だったと思います。昔は春野でも公式戦をしたことがあるんですよ。丸亀(香川県)でも試合をしていて、四国のいろんな場所で試合をやっていましたね。ポカスタもバックスタンドは芝生だった頃です。その時に写真を撮らせてもらった家族はその後も定期的にスタジアムで見かけるようになって、その時々で撮影させてもらっています。13年のJ1昇格した国立競技場でも撮影しました。選手は移籍や引退もあってずっと徳島にいるわけではないけど、サポーターはずっとここにおる。徳島ヴォルティスとともに成長記録みたいな写真が撮れて面白かった。大人は10年経ってもそんなに見た目が大きく変わらないけど、子どもは10年も経てば全然違うから面白い成長写真になりましたね。その家族は今年も4人で試合に来られていて話をしました。


選手だと、伊藤彰くん(※2005-06在籍、現・仙台監督)と秋葉忠宏くん(※2005-2006在籍、現・清水監督)は印象に残ってる。

その時の印象ももちろんあるけど、その後に指導者になって今でも活躍しているから余計に印象に残っている。徳島に在籍していた選手って、よそのチームに行っても親しい感じがして、いろんなチームにも関心が行くようになった。徳島に在籍していた選手は外で活躍しても嬉しいな。逆に活躍しすぎて古巣戦の徳島戦でやられることもあるけど(苦笑)。


――20年近く写真を撮ってきて、パッと名前が浮かぶ印象に残っている監督・選手・スタッフは誰ですか? 3人くらいピックアップしてください。
まずは柿谷(曜一朗)くんやな。

シーズン途中、徳島に加入した初戦(2009年の第22節・横浜FC戦2○0)で得点を取ったんですよ。前半やったからアウェイサポーターのいる方向に攻めている時だったんですけど、喜んだまま走って行った方向がアウェイ側やったから「逆行ったなぁ」と思いながら写真を撮ったのを覚えとる(笑)。今年、徳島に復帰するって聞いた時はビックリした。

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