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【SIGMACLUB7月号】サンフレッチェを支える人々/小原防災工業株式会社代表取締役 小原洋一氏「何をおいても支えたい そう想わせる力が スポーツにはある」

●小原洋一社長/1972年生まれ。広島県出身。マツダサッカー部で活躍した父を持ち、少年時代からサッカーに打ちこむ。梅田直哉(現サンフレッチェ広島強化部)は府中中学校サッカー部の後輩。

 

人との関わりを大切に、会社を成長させてきた

 

サッカーが好きな少年だった。山陽高サッカー部で、左サイドバックとして活躍した。

「下手だったし(苦笑)、とにかく走っていましたね」

小原洋一社長はプロを夢見ていたわけではない。「よくいるサッカー少年でしたね」と社長は笑う。それでも、大好きなサッカーにずっと打ち込んでいたことは間違いない。

高校3年のある日、小原青年は突然、腰を刺されたかのような痛みに襲われた。

立てない。

救急車で病院に運ばれることもあった。サンフレッチェ広島のチームドクターである月坂和宏先生が診断し、こう告げられた。

「この症状とは一生、上手に付き合わないといけない。手術はむしろ、しない方がいいから」

それはもう、高いレベルでのサッカーはできないと宣告されたと同義である。

「自分の骨は全体的に湾曲していないらしく、疲れがもともと溜まり易かったそうなんです。だから腹筋・背筋をつけながら一生、付き合うしかない、と」

そのまま、サッカー部は休部。ポジションは失ったまま、卒業を迎えた。

「まあ、上を目指すタイプではなかったし、結局は自分が弱かったんでしょうね」

小原社長は過去をそう言って振り返る。だが、夢中になって取り組んできたサッカーを怪我で取り上げられ、目標を見失ってしまった青年の心が、どれほど揺れ動いたか。

結果として、彼はサッカーを諦めた。

22歳になった頃、深いことを考えないままアルバイトとして入った仕事が、小原青年の運命を決める。防災設備である。

全ての建物には、消防法に定められた設置基準に基づいて消防設備を設置しないといけない。しかもそれは最初に設置すれば完了というものではなく、時代と共にアップグレードが求められる。消防署が定期的に査察するのだが、そこで合格しなかったら、建物そのものを新しくする必然性も出てくる。

その防災設備の構築と点検の仕事が、小原青年には面白かった。

「消防法は確かに堅いんですが、それを頭から振りかざしていては、仕事にならない。やっぱり(建物は)オーナーさんの財産ですから、そこを守っていくという意識に寄り添っていかないと。人間同士の付き合いの中で、みなさんの財産を守るためにどうしないといけないか、そこに寄り添って提案しないと理解は得られない。だからウチのスタッフはよく現場に行きますよ。作業着を着て、何度も何度も、足を運んで」

設置した後には点検がある。その点検で何か故障が見つかれば、修理・改善へのコストも致し方ないと判断される。しかし点検で何も異常が見つからなかった時、そこにコストが発生すると考えにくい。本来、点検のコストとは故障が見つかる・見つからないにかかわらず、検査する人が動いたことによって既に発生しているもので、請求は当然。だが、小原社長は言う。

「機械を設置して、それをきっちりと点検して。そこまでのプロセスがきちんとできていれば、そこで生まれるコストに対しての納得感・安心感は生まれてくるもの。僕らは、そういうところを大切にしています」

独立してから15年の歳月が流れた。計画をきちんと立てて、これまで生きてきたわけではない。目の前の仕事を一生懸命やって、戦って、1つ1つの仕事に対して誠実にやってきた結果、「そろそろ法人にした方がいいのでは」と顧客から言われる状況になった。一緒にチームを組んでいた人と組んで法人化したのは、11年前のことだ。

「人付き合いだけは、しっかりとやってきたつもりです。そうしたら、周りからどんどん紹介をうけて。ありがたいことです。仕事が多忙になってスタッフが足りなくなった時も、周りのみなさんが紹介してくださる。社長がこんなタイプなので、周りの人々やスタッフが支えてくれるんです(笑)。「サッカーも会社もチームワークだよ」くらいですかね、僕が言っているのは(苦笑)」

 

育成部門を応援することで、広島出身の選手が活躍できるように

●小原防災工業株式会社プロフィール
2009年設立。事業内容は消防・防災施設の構築・点検・販売。安芸郡府中町の他、広島市や呉市でも事業を展開。現場は中国地方各地に及び、下関や岡山、山陰で仕事をすることも。今年からパートナー企業としてサンフレッチェ広島を支える存在に。

 

 

サンフレッチェ広島はもう10年来、年間指定席を購入して応援してきた。実は小原社長は父親がマツダサッカー部だったこともあり、森保一元監督(現日本代表監督)とも交流がある方だ。

「森保さんには、ちょっと失礼なことを言ってしまったことがあるんです」

小原社長は照れくさそうに笑う。

「森保さんがサンフレッチェ広島の監督になったと発表されたその夜、食事をする機会があったんです。その時、僕は思わず「大丈夫なんですか?」と聞いてしまったんですよ。考えてみれば、本当に失礼で……。森保監督は「それは俺が1番、思っているよ。でも、頑張るしかないからね」と言われたんです」

小原社長の気持ちはわかる。筆者も同じような経験があって、心配する気持ちを彼に見透かされてしまった。森保一という好漢を大事に思うからこそ、監督就任を喜び、そして心配した。しかし、心配は杞憂だった。

2012年1124日、サンフレッチェ広島初優勝。森保一が雨に濡れながら「サポーターのみなさん、おめでとうございます」と叫んだその時を、小原社長はスタンドで目の当たりにした。

「地元広島の、かつて父が活躍したマツダサッカー部を前身とするチームが優勝し、その監督が森保さんで。しかも、挨拶の最後には「年間パスを買ってください」と言われた。そういうところも、森保さんらしい。優勝した喜びだけでなく、集客まで視野に入れているのは、同じ社会人として考えても凄いと思いました。ああいうメッセージは、ああいう場所で発するのが最も効果的だというのも、わかっておられたんだと思います」

少年時代からサッカーは好きだったが、サンフレッチェ広島を熱狂的に応援してきたわけではない。ただ、サンフレッチェの監督に交流のある森保一が就任し、足立修強化部長をはじめとして関係者たちとも交流を深める中で、いつしかクラブをもっと応援したいという気持ちにもなった。

最初はスタジアムに看板を掲出することでトップチームを支えようかという気持ちもあったが、そこで小原社長は考えた。

「僕は小学校からサッカーをしていたし、息子もサッカーをやっています。僕が少年時代にお世話になった監督の小澤通宏さん(日本代表選手として1956年のメルボルン五輪に出場。1965年からの東洋工業日本リーグ4連覇に選手、そしてコーチとして大きく貢献。1984年以降はマツダサッカー部部長としてサンフレッチェ広島創設やJリーグ参加にも尽力)や先生、一緒にサッカーをやっていた人とは付き合いがある。

また、子どものサッカーで知り合った、本気で子どもたちと向き合える指導者や保護者の方々ともお付き合いがあるんです。だからプロチームもいいけれど、むしろ育成部門を応援した方が面白いなと思って。ジュニアユースから育った選手がユース、そしてプロになって、広島出身の選手がエディオンスタジアム広島のピッチに立ってほしい」

社長はそう決意し、今年からジュニアユースチームのユニフォームの袖に会社のロゴを掲出することに。新型コロナウイルス感染拡大の影響は、これからもっと出てくると予想される。経営的にも決して楽な見通しはできない。それでも広島サッカーの未来のために役に立ちたい。その想いを形にしたい。

「プロスポーツは、地域社会に必要だと個人的には思っています。ただ、プロスポーツの運営にはスポンサーが必要です。大きなお金を動かして収益を上げていかなければ、夢も与えられない。だからこそ、クラブにはしっかりと利益を出してほしいと思います。

広島では特に、戦後の復興にカープが大きく貢献しましたよね。そしてそのカープを、市民たちは樽募金などで支えた。どれだけ貧しい時でも、スポーツを応援してきた歴史がある。スポーツ選手を応援したい、プロスポーツクラブを支えたいという気持ちは、お金どうこうではないのではないか。

カープには選手たちをみんな我が子のように思って熱狂的に応援している方も少なくないって聞きますし、借金してでも応援したいと言っている人もいる(苦笑)。サンフレッチェにもたくさんのお金を使ってくださるファンもいますよね。

そう想わせる力がスポーツにはある。自分のことよりも優先して、自分の好きなスポーツチームにお金を使いたいと考えさせる力はあるんです。大切なのは、そういう方々をどれだけ増やすかじゃないでしょうか」

だからこそ、2024年に開業予定の新スタジアムに小原社長は期待する。

「優勝とかスタジアムとか、何かのきっかけで集客がパッと増えることによってサンフレッチェを好きになることにもつながる。満員のスタジアムにすることを考えていただきたい。場所もよくなるわけですから。

僕らのような小さな子どもがいる親からすれば、サッカーだけでなくある種のイベントにしてしまわないといけないとすごく思います。スタイリッシュでカッコ良くて楽しくて、子どもたちが「サンフレッチェ、行く行く」って言うような」

新型コロナウイルスの感染による苦境は、サッカークラブだけでなく、小原防災工業も含め、全ての業種において存在する。しかし、だからこそ「広島はやるよってところを見せていきたい」と小原社長は言う。

「ウイルスの感染によって日本中が苦しくなった年だからこそ、こういう時に努力した結果として戻ってくるものも大きいのではないか。だからこそ、サンフレッチェには本当に、頑張って欲しい。ジュニアユース、ユース、トップ、全部のカテゴリーでいい成績を残すことになれば、クラブにとっても広島にとっても、この1年の取り組みが将来の大きな財産になるのではないでしょうか」

優しい笑顔で熱く想いを語る。小原洋一社長の逞しい前向きさこそ、希望である。

 

(了)

 

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