青山敏弘物語〜逆境〜 第19章/史上最高のダブルボランチ、始動。
日本サッカーの歴史を変えたといっていい「ミシャ式」が誕生したのは、2008年4月29日、徳島でのことだ。
この歴史的な試合については、もう何度も語っているが、何度語っても語り尽くせない。
4月26日、アウェイでの対熊本戦。2-1で勝利したものの、内容は全くもって不満だらけ。オフサイドで取り消された熊本の「2得点」が認められていたら、果たしてどうなっていたか。完敗もあり得た。ミックスゾーンで森﨑和幸が「こんなサッカーではいずれ勝てなくなる」と声を大にしたのも当然のこと。
青山敏弘もまた、もがいていた。
広島をJ2に落としたのは、自分だ。だからこのチームをJ1にあげないといけない。
強い決意をもってシーズンに臨み、大事な開幕戦ではゴールも決めて勝利を演出した。しかし、チームはなかなか浮上しない。首位にはいる。しかし、内容はずっと危なかった。綱渡りの状況で、何とか勝点を積んでいる状態だった。昇格を争うと予想されたC大阪が躓き、広島と同じ降格組の甲府や横浜FCも思うように勝点を詰めない状況だったから首位にいただけ。ここまでの9試合、内容でも圧倒できたのは開幕3戦とC大阪戦。しかし、水戸や岐阜、熊本との試合は負けてもおかしくなかったし、ストヤノフを封じられた甲府戦はまさに完敗だった。ペトロヴィッチ監督自身、本当に表現したいサッカーと現実との差にもがいていた感がある。
対広島戦に対して、相手は自分たちのサッカーを完全に捨てて臨んできた。攻撃の中心になっていたストヤノフにFWをマンマーカーとして置くだけでなく、最終ラインを思い切って下げ、一見して攻撃を捨てたかのような陣形で彼らは守備に重心を置いた。そうすれば、広島は勝手に前がかりになるから、裏にスペースがあく。攻撃はそこを使えばいい。
今の青山であれば、うまくバランスをとりながら相手を揺さぶるパスワークを見せることができただろう。しかし、当時の彼はまだ若い。攻撃的な自分の強さを押しだそうとするあまりに、チームの中でうまくはまらなかった。うまくいかない状況の中で、やがて運動量が落ちる。
「負けた甲府戦も熊本戦も、僕らは走れていない。気持ちの上で受けてたったいた。相手が対策を打ってきたからといって、それに対応していない自分たちが情けない」
どうすればいいのか、どうすればもっとうまくいくまのか。
その解決策は何だったのか。
本来であれば、練習で何かを試し、何かを工夫する作業を繰りかえすべきだが、中2日のアウェイ連戦である。時間は全くない。前日練習でミニゲームも行われたが、11対11はできる状況でもなく、指揮官は「メンバーは明日、決める」と厳しい表情。正直、練習の出来も悪く、選手たちには明るさもなくなっていた。
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