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青山敏弘物語〜逆境〜 第16章/夜明け前。

 

2007年12月14日、青山敏弘はクラブ事務所で泣いた。堪えることができずに、ポロポロと。

その理由を翌年、彼はこんな言葉で教えてくれた。

「何だったんでしょうね……、でも一つだけ考えたのは、みんな切り替えが早いんだなってことでした」

切り替えが早い?

「もちろん、いつまでも降格のことを引きずっていられない。それはわかっていた。だけど、自分にとってあの時、未来が全く見えない状況だった。正直、契約どうこうとか全く言えない状況。そんな中で(みんなとの)温度差を感じていたのは事実です」

もちろん、そんな心境になったのは彼が負傷していたことも大きい。

2007年11月21日、北京五輪アジア最終予選。国立競技場での対サウジアラビア戦で相手の決定的シュートをゴールライン上で弾き返したスーパークリア。日本を五輪に誘った素晴らしい守備を見せたその試合の終了間際、相手との接触プレーで青山は右足甲を骨折。全治2ヶ月の診断を受けていた。日本が五輪出場を決めた歓喜の夜なのに、彼は深夜12寺過ぎに病院を訪れ、「今季絶望」の宣告を受けていたのだ。それは彼が、J1・J2入れ替え戦にも出場できなくなったというメッセージであった。もし、青山が広島中が絶望に打ちひしがれた京都との入れ替え戦に出場できていたら。だがそれは、考えるだけ空しい。

(残り 1259文字/全文: 1819文字)

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