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森崎和幸物語/第11章「私にとってのカズはカズだけだ」

「中野さん、また、ですよ……」

2010年4月14日、中国・大連空港。チームメイトからポツリと離れた場所に座っていた森崎和幸が、ポツリとこぼした言葉だ。表情は笑っていた。だが、その顔に生気はなかった。驚くほど、青ざめていたその顔色は、サッカー選手とは思えないほど、エネルギーがなかった。慢性疲労症候群の再発である。

「昨日の山東魯能戦(ACL)での欠場から、なんとなく想像していたよ」

「……どうしてなんですかね。気を付けていたのに」

「うん。でも、そこは考えないでおくしかないやん」

「そうですね」

「休むんやろ」

「はい。もう、プレーできないから」

「うん。わかった」

プロ入り以来ずっと、カズを見続けてきた。病気での離脱も全て、見てきた。だから、こういう時に「しっかりと休んで、また戻ってこい」とか、そういうことを言ってはいけないことも、わかっていた。喉まで出かかっていた言葉を、飲み込んだ。

ショックだった。カズ自身も、そして僕も、2009年の発症を乗り越えれば、もう大丈夫だと思っていたからだ。

「第2節の神戸戦から、もう(体調は)おかしくなっていた。相手のプレスが速く感じられたし、余裕がなくなり、周りが見えなくなった。アウェイの(ACL)アデレード戦でゴールを決めても、回復のきっかけにはならなかった。予防のための薬も飲んでいたのに。これまでの経験を活かして、対策は打っていたはずなのに」

山東魯能戦の前日練習後、ペトロヴィッチ監督(当時)は森崎兄弟を呼んで「お前たちが、チームを引っ張ってくれ」と語りかけた。この時、チームは決していい雰囲気ではなくACLでも1勝3敗、Jリーグでも連敗中だった。こういう時、ベテランに精神的な部分での期待をするのは、指揮官としては当然のこと。まして森崎兄弟は戦術的にも中心にいるわけだから。ただこの時、カズの発症を指揮官は知らなかった。

「あの時、監督が僕に期待してくれていることは、わかっていました。でももう、期待に応えられる状況ではなかった。言葉にするのは難しいんですが……」

指揮官の言葉が、頭の中に入ってこない。理解しょうと一生懸命に聞いても、何を言っているのか、その意味がわからない。

もう、無理なんだ。迷惑は、かけられない。

試合当日の朝、カズはペトロヴィッチ監督に直接、言った。

「すみません。症状が出てしまいました」

「わかった。まず、今日は休め」

試合前に配られるメンバー表の先発欄に、KAZUYUKI MORISAKIの名前はなかった。名前が控えの欄にはあったので、当時の広報担当に「カズはどうしたんですか」と僕は聞いた。だが、彼は力なく、首を振るだけだった。

それで、僕は察した。

どうして、そんなことに。運命を呪った。

もちろん、衝撃は僕などよりもカズの方が何百倍も大きかった。

帰国便のシートに腰を下ろしているだけで、カズの体調はどんどん、悪くなった。彼の姿を関西国際空港で見かけたのだが、大連で言葉をかわしたカズとはもう、違っていた。言葉をかけることもできないほどの憔悴。

関空から電車・新幹線経由で広島駅まで。そこに愛妻が迎えに来ていた。その姿を見た瞬間、カズの瞳からは大粒の涙が流れ落ちた。

号泣。

もう、無理だ。

もう、ダメだ。

溢れる涙を止めることはできなかった。

家に戻り、部屋に入ってカーテンを閉め、電灯を消した。光が全く入らない闇の中で、1人身体を横たえた。光を浴びることさえ、カズには無理だったのだ。

横になったとしても、眠れたわけではない。極度に疲労していたのに、全く眠れない。医者から処方されていた睡眠薬を飲んでも、どうやっても、寝られない。

立ちくらみがする。何かにつかまらないと、立てない。それでも立ち上がろうとする。すると身体全体が揺れるように感じた。

サッカーどうこうではない。普通の生活に戻れるのか。

いったい、俺は、どうなってしまったんだ。

絶望の淵に落ちた。

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