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森崎和幸物語/第4章「監督を代えるのであれば」

 「僕を使わない方が勝てるのなら、そうしてください。勝てるメンバーで、勝負してください」

2007年12月6日、広島スタジアム(現コカ・コーラウエスト広島スタジアム)で森崎和幸はミハイロ・ペトロヴィッチ監督(当時)に訴えかけた。それは自らの心から飛び出した、血の叫びだった。

アジアカップによる約1ヶ月の中断後、広島はチーム状態が一気に降下する。それは、ペトロヴィッチ監督が推進する攻撃的布陣の必然でもあった。

3−1−4−2という超攻撃的なフォーメイション。青山敏弘を1ボランチに置き、トップ下が森崎浩司と柏木陽介(現浦和)、そして2トップには佐藤寿人とウェズレイ。ワイドの服部公太と駒野友一(現FC東京)も前にかかり、とにかく人数を攻撃に割く布陣だった。一方、守備陣はカズ・戸田和幸・槙野智章(現浦和)、GKに下田崇。本職のCBは槙野だけであり、しかもユースから昇格して2年目の彼はまだ経験が浅く、線も細くて、攻撃の方に特長を感じさせた選手だ。

カズ・戸田・青山・浩司・柏木とパスを出せる選手は多彩だが、そこからゴールを決める選手は寿人とウェズレイしかいなかった。二人へのマークがより厳しくなり、ホットラインを寸断された中断明け以降は、ゴールがどうしても奪えない状況に陥る。そうなると守備の甘さが露呈するのは必然だ。前にかかってボールを奪われ、その度にカウンターを食らう。常に数的不利に陥る中、バランス感覚に優れたカズが後ろに残り、必死で速攻に対応していたのだが、そうなるとやはりフィジカル・スピードが足りない。

結果として失点の山が築かれ、J1最悪の71失点(平均2.09点)を重ねた。一方、得点は44(平均1.29点。リーグ11位)と平凡で、しかも寿人とウェズレイ以外の得点が15得点しかないという2トップ依存体質では、守備のリスクを冒す布陣の費用対効果が悪すぎた。

京都との入れ替え戦を迎える前、周囲からは様々な声があがった。その中であがっていた主な声は2つ。終盤戦で不調に陥っていたウェズレイではなくルーキーの平繁龍一(現熊本)を起用し、前線を活性化すべきだ、ということ。もう1つは、高さとスピードに問題を抱えていたカズをストッパーではなく中盤にあげ、ダブルボランチにするべきだ、ということ。だが、ペトロヴィッチ監督は「いつものメンバー」に固執した。それが彼の生き方であり、哲学。もっとも信じている11人に全てを賭ける考えを、ギリギリの局面で変えるつもりはなかった。

「勝つためになりふり構わず、全てを賭ける」という考え方は、ミハイロ・ペトロヴィッチという男の中にはない。美しく勝利する。その発想を、どんな時でも変えることはなかった。もちろん、「美しさ」とは主観であるが、ペトロヴィッチ監督は自らの主観と心中できる、ある意味の強さを持っていた。

京都・加藤久監督が「広島を崩す狙い目は、高さのない森崎和幸だ」と指摘したという記事が掲載される。言葉の表現にはひっかかるところがたくさんあるし、後に「誤解だ」と加藤監督は言明し、カズにも謝罪。だが、確かに現実的な指摘でもあった。

「見返したい気持ちはある」

珍しく、カズが闘志を露わにした。だが、現実は厳しい。

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