森崎和幸物語/第3章「離脱」
2004年2月16日、熊本県民総合運動公園陸上競技場(現うまかな・よかなスタジアム)。ロアッソ熊本のホームスタジアムであり、今年の熊本地震では救援物資の集積拠点となっている場所である。
この日、広島は市原(現千葉)との練習試合を行うため、熊本までやってきた。その試合前、森崎和幸はある程度は覚悟していた知らせを受け取る。
「アテネ五輪アジア最終予選メンバー、落選」
仕方がない、と思った。だが、心の動揺は隠せない。
試合は0-6。大敗である。前年のJリーグで旋風を巻き起こし、優勝争いの主役となったイビツァ・オシム監督率いるジェフ市原とは、チームとしてのレベルが違っていた。ちなみにこの試合では、中島浩司と山岸智が先発している。
カズは奮戦した。だが、その気持ちが空回りしてしまった。ラフプレーによる一発退場。レッドカードを受けてしまったのだ。
「いろんな意味で、最悪の1日だった。レッドカードは(生まれて)初めて。うまくいかなくてイライラしていたこともあるが、イエローかな、と思ったけど、まさかレッドだとは思わなかった。あれだけ負けていたし、とにかく悔しかった」
カズは言葉を絞り出す。
「(五輪予選のメンバー落選は)悔しい。でも、ポジティブに考えたい。ここまでチームに迷惑をかけてきたから、これからはチームで頑張りたい。そして、僕を選ぶべきだった、必要だった、と思わせるようなプレイを、見返すようなプレイをしていきたい。こういう挫折は、あまり味わってこなかった。でも、それをプラスに考えたい。ユースの時に一度落ちて、そこから這い上がった。もう一度、身体をつくって、あがっていきたい」
猛烈な腹痛や下痢に多くの選手が襲われながらも勝利したUAEラウンド。大久保嘉人(現川崎F)が爆発した日本ラウンド。日本は、不安視されていたアテネ五輪出場権を獲得した。その後、カズは1度、U-23日本代表に選ばれはしたが、山本昌邦監督は結局、彼を選択することはなかった。予選で奮戦したキャプテン=鈴木啓太も落選。カズ同様、主将経験者が次々にチームを去るという事態に陥った。
カズはチームでの戦いに集中した。FW不足というチーム事情もあり、一時はシャドー・ストライカーとしてプレー。C大阪戦では浩司・カズの同一試合兄弟ゴールを達成するなど、シーズン5得点を記録する。
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