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【コラム※無料】頑張ろう広島。助け合おう広島。

今日の広島は晴れていた。静かな午後を迎えた。先週金曜日から土曜日にかけての猛烈な雨が嘘のように、静かだった。

けたたましい音で携帯が鳴り響いたのは7月6日、15時31分のことだった。

その日、僕とカメラマンはサンフレッチェ広島の紅白戦を取材し、丹羽大輝と森崎浩司の45分間にわたる「対談」を収録。雨が激しく降り続く吉田サッカー公園を急いで後にした。

ちょっとでも雨水に当たると、あっという間にびしょ濡れになってしまうほどの大きな雨粒たちが激しくアスファルトを打ち付ける。天気予報では「過去に経験したことのない豪雨の恐れ」と何度も何度も告げていた。

過去に経験したことのない豪雨。

2014年8月20日、夜の流川で水戸からわざわざ広島までやってきたライターと一緒に美味しいお寿司を頂いて、「さあ帰ろう」となったその時に降り始めた豪雨は、雨粒が当たると痛みを感じるほどの強烈さ。その日の深夜、安佐南区の山が崩れ、多くの人々が犠牲になったことは、今も忘れられない。

あの時よりも凄い雨だというのだろうか。

そんなことを考えていた時だったのだ、最初の「緊急速報」は。

携帯を見ると、広島市安佐北区の一部、土砂災害危険箇所等に対する避難勧告だった。ただその時はもう既に車は安佐南区に到達。回転寿司で遅いお昼を食べようと駐車場に車を入れた頃だった。

とにかく、ご飯だ。

お店に入ると時間が遅かったこと、豪雨の中だったこともあり、いつもは行列ができている店内にお客さんは誰もいない。

とにかく、さっさと食べて帰ろう。

そう考えた途端、またも携帯が鳴り響く。

今度は安佐南区に対する避難勧告。ただ、そこのお店は対象区域外だったこともあり、そのまま食事を続けた。15時33分、57分、59分。16時07分には「三篠川が氾濫する危険性が極めて高い」。それまでの土砂災害危険箇所等ではなく「洪水浸水想定区域」と指定が変わった。

17時24分、府中町の自宅に戻った時、またも携帯が鳴る。今度は府中町からの緊急速報だった。

「大雨による土砂災害の危険性が高まったため、17時20分、府中町全域に避難準備・高齢者避難開始を発令しました」

これまでとは緊迫感が違う言葉が並ぶ。正直、動揺した。だが、避難場所に指定された場所はいずれも遠い。それに自宅マンションの立地を考えても築年数を考えても、ここが土砂災害に襲われて被害にあうのであれば、その避難場所も危ない。一番近い避難場所は、自宅よりも山沿いにあり、このマンションよりも築年数は古かった。鉄筋コンクリートの力を信じ、土木工事の力を信じた。

17時28分、大雨による土砂災害が「広島市南区丹那町」で発生したと携帯が伝えてきた。

17時52分、広島市南区の一部でも避難勧告が発令された。

18時05分、広島市安芸区の一部で避難勧告。18時11分と19分、広島市南区の別の場所で立て続けに勧告が出た。携帯はその後も18時20分、18時29分、18時30分、18時41分、18時48分、18時54分、19時12分。いずれも「避難勧告」を連絡してきた。

だが19時32分、携帯の文言が変わった。

「緊急」という文字が出た。そして「避難勧告」から、強制性と緊急性を感じさせる「避難指示」に変化した。場所は広島市安芸区の熊野川流域地区。熊野川が氾濫し、水位が堤防を越えるおそれがある、とのこと。続いて、19時40分も、気象庁から大雨特別警報。「最大級の警戒をしてください」。聞いたことのないメッセージだった。

19時50分、府中町全域に緊急避難指示が出た。すぐ近くの中学校に避難せよ、とのこと。だが僕はマンションを動きたくはなかった。合理的に考えても、自宅マンションは安全だと思った。自己責任において、僕は動かなかった。

果たしてその判断が今も正しかったのか、そこはわからない。自分自身としては冷静に判断したつもりだった。マンションは坂の上で水がたまることはなく、付近には土砂崩れを起こしそうな場所もない。マンションを支える法面は堅牢なコンクリートで支えられていて、ここが崩れるのであれば近くの中学校もひとたまりもないだろうと判断した。だが、それは勝手な素人の考え方だったのかもしれない。

一方であれほどの豪雨の中、ずぶ濡れになって移動することに対する怖さもあった。何が正解かは、今もわからない。避難すべきだったのかもしれない。結果として自分自身も家族も無事だった。だがそれは結果論なのかもしれない。指示には「避難所などの安全な場所へ緊急に避難してください」とあった。自宅のマンションは、広島市の避難指示にある「頑丈な建物」にあたると判断した。その判断は正しかったと信じたい。

21時44分、広島市全域に避難指示(緊急)が出た。ここまで携帯が受信した緊急速報は25件。それは広島市と府中町限定だったわけだから、呉市や三原市、尾道市や安芸高田市などにお住まいの方々は何度、携帯が鳴ったのだろう。不安は想像するにあまりある。

雨の音はいっこうに鳴り止まず、外の木々を激しく叩いた。不安な夜にテレビのニュースが伝える気象情報が拍車をかける。心配な人の何人かにメールを送った。「大丈夫です」という返信に心が安らいだ。だが府中町に住む知り合いの1人は「川が近いので(川から離れている)実家に避難します」と。怖くなった。翌朝、その知人の故郷(彼らが避難した家とは違う街にある)近くが濁流に襲われていたことを知った。

夜があけた。雨がまた、降り出した。10時50分、府中町に発令されていちた大雨特別警報は大雨警報になったが、雨の不安は消えなかった。優しい人々が安否を心配してくれる。力になりたいとも言ってくれた。僕は大丈夫。家族も平気だ。しかし、広島は、岡山は、その他の地域は……。濁流によって孤立した地域もある。土砂災害はいたるところで発生した。広島空港も孤立化し、空港の施設内で不安な夜を過ごした人々もいる。物資が届かなくなり、コンビニやスーパーから水や食糧が消えたという情報もあった。

無力感。

何もできない。

読者の皆さんには被災された方々もたくさんいるはずである。サポーターの皆さんのSNSを見ると厳しい状況に追い込まれた方々もいる。一方で消防団の一員として被害からの復旧に全力を尽くした人々もいる。自衛隊や警察、消防隊など、人命救助やライフラインの再構築に全力を尽くしている人々もいる。

でも、僕には何もできない。矢も盾もたまらずに現場に行ったところで、僕自身のスキルや肉体的な状況では何も貢献できない。

辛い。

だけど、仕方がない。

僕は僕で、できることをやらないといけない。今週土曜日に紫熊倶楽部の最新号が発売される。読者が待っている。松本泰志や柏好文のロングインタビューの原稿に取り組まないといけない。

仕事をしよう。仕事を頑張ろう。

そして今日。

青空が見えた。久しぶりに太陽の光が降り注いだ。買い物に出るついでに、報道に「被害を受けた」とあったジュニアユースのトレーニング場になっている青少年文化センターの状況を見てみたいと思った。

衝撃だった。

かつて高柳一誠が、槙野智章や森重真人が、平繁龍一や横竹翔が、野津田岳人や宮原和也、そして川辺駿ら、たくさんのJリーガーを輩出した広島ジュニアユースの拠点である青少年文化センターが、土砂崩れのために危険な状況になっていた。そこにあがる道も封鎖され、立ち入りも許されない。既に重機が入り、復旧への活動が行われていたのは有り難いし、すぐに動いて頂いていることに感謝もする。ただ、自然の破壊力の凄みを目の当たりにしたことで正直、呆然としてしまった。もしこの土砂崩れがもっと大きかったとしたら、すぐ下にあるコンビニエンスストアはどうなっていたか。戦慄。

今回の豪雨では13府県で102人が死亡し、90人の安否が不明だと言われているが、被害の全容は未だにつかめていない。広島市安佐北区白木町にある芸備線の鉄橋が流され、高速道でも47カ所で被害が確認され、通行止め区間は最大で約2268キロに及んだという。9日朝現在で広島・岡山・愛媛では約1万2700戸が停電し、水道も広島県では最大で約21万戸が断水したという。少しずつ復旧してはいるが、完全復活にはまだ至っていない。サンフレッチェ広島は11日の天皇杯対名古屋戦の延期も発表した。現在の状況においては、致し方のない判断だ。

ただ一方で、こんな情報も流れてくる。中国新聞のちゅーぴークラブに入り、メルマガ送付を設定するとNEWS速報を送ってくれるのだが、そこに被害の状況などと同時に、復旧に向けての取り組みも書いてくれているのだ。

たとえば。

三原市・尾道市・福山市・東広島市・愛媛県上島町に水道水を供給している三原市の本郷取水場での送水再開が16日が目処になること。

現在、通行止めとなっている山陽道と東広島呉道路について、1週間程度で前線開通の見通しだということ。そのうち、山陽道の福山西IC〜河内ICと、中国やまなみ街道の尾道JCT〜尾道北ICについては10日朝にも開通が見込まれ、山陽道の河内IC〜広島IC間は約1週間で通行止めを解除するということ。

9日午前8時20分には中国道が全線開通したこと。

広島市が9日から、大雨被害に伴う罹災証明書の申請受付を、罹災した建物を対象として各区役所で始めたこと。

SNS上でも、たとえば多くの温浴施設や自衛隊が入浴のための支援を行っていることが紹介されている。今も被害のために厳しい状況に追い込まれ、苦しんでおられる方々もたくさんいることは事実だ。しかし、多くの人々が支援のため、復旧のため、力を合わせて頑張ろうと動き始めた。助け合おうと動き始めている。

犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

被害にあわれた方々に対し、心よりお見舞いいたします。

そして今、できることをしっかりと、心の故郷である広島のために、広島だけでなく被害にあわれた全ての皆さんのために頑張りたいと、助け合いたいと思います。

 

中国新聞の大雨被害状況はこちらから。

 

(了)

 

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