【韓国キャンプ】時代は変わるのか
やはり、青山敏弘なのだろうか。
強烈なブラジル人ストライカーに守備を崩され、3失点してしまった大邱戦だったが、ゲームを支配したのは紫の6番。ボールを右に左に自在に展開し、30mの距離から強烈な弾丸シュートも決めてみせた。日本代表離脱の要因となった膝の具合も問題なく、90分の試合をやりきってみせる。つくづく、代表離脱が残念でならない。
ただ、青山を脅かす存在が現れてくれないことには、広島も青山自身も、未来が苦しくなる。川崎Fの中村憲剛が37歳の今も第一線で活躍できているのは、大島僚太という若者の存在を抜きにしては語れない。ゲームメイカーとして一流の後輩が存在を脅かし続けるからこそ、中村は緊迫感を持ったプレーが続けられる。競争とは非常に重要で、安泰だと思ったその瞬間に選手は緩む。緊迫感をもって臨もうと思っても、弛緩してしまう。
青山はデビューからここまで、ずっと緊迫感をもってサッカー人生に取り組んできた。それはもちろん、彼のストイックな考え方と無縁ではない。サッカーという大きなテーマに取り組み、自分の理想に邁進続けた。大きなケガに見舞われる度に何度もそれを克服し、ケガをする前よりもさらに強靱な肉体をつくりあげ、プレーそのものも向上させた。
そのモチベーションとは、どこにあったのか。
振り返ってみると、青山の若かりし時代は強烈なチーム内競争があった。彼の主戦場はボランチだが、その場所には同世代であれば高萩洋次郎、柏木陽介や髙柳一誠といった広島ユース黄金時代を築いた若者たちが牙を研いでいた。さらに上の世代なら森崎和幸という偉大なボランチだけでなく、シャドーもボランチもできるテクノクラート・森崎浩司も。少しでも緩みを見せればすぐに弾き出される危機感は、青山だけでなく他のタレントたちにも存在した。その競い合いこそ、成長への源泉。この時代の選手たちが一様にサッカーに対してストイックなのは、そうならざるをえない事情が存在したからだ。
だからこそ2008年、大袈裟ではなくて日本サッカーの歴史を一変させるような革新的サッカーがサンフレッチェ広島という一地方クラブで可能となった。もちろん、ミハイロ・ペトロヴィッチという、いい意味で「クレイジー」な攻撃信奉者の存在があったからこそではあるが、彼の期待に応えられるタレントたちがチーム内の激しい競争で切磋琢磨した環境なくして、革新的な成功はありえない。
では、今はどうなのか。
青山だけでなく、水本裕貴や柏好文、柴崎晃誠、そして林卓人。いずれも30歳を超えた。選手寿命が長くなった現代においては、決して「ベテラン」ではなく城福監督が言うように「中堅」ではある。だが一方で、優勝経験を積み、トップクラスの技術と戦術眼を持つ主力選手たちを脅かし、彼らとガチでポジションを争う選手が出てこないと、チームに活力が生まれてこない。今季の15試合、当初は勢いがあった若者たちが失速してしまったことと、C大阪戦の敗戦や天皇杯での低調な出来は決して無関係ではないのだ。
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