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新しき年に向けて考えたこと(無料)

2018年元旦を伊勢湾岸道・刈谷SAで迎え、そのまま日本一の富士山へと愛車を進めた。お昼過ぎ、朝霧高原にある「ふもとっぱらキャンプ場」に到着し、強風に苦しめられながらもテントを立て、1月3日までの「我が家」をつくった。

仰ぎ見た富士山は、昨年よりも雪が少なく、山頂近くにも岩肌がさらされていた。昨年みた真っ白な、純白の美しさではなく、荒々しさと瑞々しさが同居したような美。間違いなく日本一である。

夜になると、また素晴らしい光景が待ち受けていた。

これほどまでに月の光が明るいとは。自分自身の不明を恥じ入るばかりである。キャンプを楽しんでいる人々のささやかな灯り以外はなく、本来であれば懐中電灯などの人工的な光が歩くのには必要であるはずなのに、この日の月は高原を優しく照らした。夜の散歩すら、電灯不要。そして富士山の稜線を柔らかな光で輝かせてくれたのだ。

圧倒的な自然を前にして、人間の浅はかな考察や欲望などは無力だ。富士山から少しの風が吹いただけで、テントはガタガタと震えた。人間の体温も奪われ、ストーブなどの火なくして生きてはいけない。富士山の頂上に笠雲がかかっただけで、「雨が降るのではないか」と不安に陥る。一方で、真白き嶺と蒼い空のコントラスト、その対称美によって人々の気持ちを柔らかく、優しくさせてくれる。それほどの偉大さを自然はもっていて、その力を深く強く感じられるのが、富士山の麓なのだ。そんな場所で初春を過ごせたことを幸せに思う。

さて、新しき年を迎え、サンフレッチェ広島は大きく変わる。社長と監督の同時交代というクラブ史上初めての事態。選手たちも入れ替わり、優勝を支えた黄金の主力たちも、当時のままというわけにもいかない。それでも、ピッチの上で戦い、サポーターの負託に応えなければならない。前年度の順位は15位。降格圏とはわずか勝点1の差でしかなかったという現実は重く、漫然と時を過ごしてしまったら、また苦しみが待っていることは明白だ。

森﨑浩司アンバサダーは「どういう監督が来たとしても、サンフレッチェ広島というクラブの色はなくしてほしくない」と語った。その通りである。問題は、サンフレッチェ広島というクラブの「色」とは何なのか、だ。そしてその「色」とは、サポーター増に直結するのかということである。

富士山にいたころ、サポーターから本誌の「リーダースエリア」宛に投稿が届いた。全文は本誌をご覧頂きたいので、ここでは一部を抜粋してご紹介したい。

強いからサンフレを好きだとは思っていなかったのですが、やっぱり勝てないと「どうして?」となってしまう。そして、クラブにも魅力を感じることができなくなって、不信感が消えなくて・・・・。(中略)本来楽しみであるはずの、サッカーが苦しみになっていました。お金を出して、苦しみを買うなんてありえない。いろんな思いでいっぱいでした」

この気持ちは痛いほど、わかる。筆者はサンフレッチェ広島を見ることを生業としているため、勝っても負けてもクラブから離れることはない。しかし、サポーターは違う。生涯をこのクラブと共に過ごそうと決意した日があったとしても、昨年のように結果が出ないと、どうしても「何故」という気持ちが生まれてしまうものだ。ましてJリーグは選手の出入りが激しい。「育成のため」と他クラブに若くて有望な選手を貸し出すこともある。その本質的な意味をたとえ理解していたとしても、愛する選手が他チームのユニフォームを着てピッチに立っている姿を見るのは、本能的に耐えがたい。

筆者自身、この仕事を始める前はサポーターだった。プロ野球を含めれば、プロスポーツの応援歴は長い。例えばカープは、今のような強い時代は1975年からの10年間と、1990年代前半のビッグレッドマシン(前田智徳・江藤智・野村謙二郎・緒方孝市・金本知憲ら強烈なバッターが並んだ打線)、そしてまさに今しかない。楽しみにチケットを買い、ゲートに並んでスタンドに陣取っても、想いが届かずに大敗してしまうと、心が深く傷つく。自分自身が否定されたような苦しささえ感じる。

それでも野球は降格がない。最下位でも日本のトップリーグで戦える。しかし昨年、サンフレッチェ広島のサポーターが苦しかったのは、負け続けた結果として下位に沈めば、翌年はJ2に降格してしまう。優勝しても日本の19位。上を目指すという夢はあるが、日本一が望めないリーグで戦う苦しさを、どんな素晴らしいサッカーで勝っても「J2でしょ」と言われる辛さを、サポーターは10年前、さらに16年前に経験しているのだ。

負けるというのは苦しい。勝利で選手たちと喜びあえなければ、笑顔になれない。「負けたけれど楽しかった」という想いには、なかなかなれない。全ての試合で勝てるはずもないが、勝利の可能性を常に感じないとやはり辛い。ただ一方で、勝つためには何をしていいというわけではない。中島浩司氏がいつも「サッカーはエンタテインメント」と語っているように、見せるサッカーが創造性やアイディアに満ち、プレーそのものに物語を感じさせるようなサッカーでなければ、熱狂は生みにくい。

勝利も興奮も、娯楽も栄光も欲しい。サポーターも選手も贅沢といえば、贅沢だ。しかし、それが揃って初めてサポーターは盛り上がる。盛り上がりが盛り上がりを生み、注目も集めていく。それがプロスポーツの醍醐味だ。しかし、そういう空気を味わえるクラブはほんの一握りといっていい。ほとんどのクラブは、負ける方が多い。悔しい想いをしている数がほとんどだ。では、多くのクラブのサポーターは、辛さと共にチケットを買っているのだろうか。そうではないだろう。辛いだけでは、チケットは買えない。

前述の投書を頂いたサポーターは、悩んだあげく年間パスを更新してくれたという。その理由はぜひ紫熊倶楽部本誌をごらん頂きたいが、サポーターはそれぞれ自分たちなりの「応援する理由」を見いだし、スタジアムに向かう。負けたとしてもその結果を受け止めつつ、いや受け止められないのかもしれないが、それでも心の中で懸命に処理をして帰路につき、そこからまた、スタジアムへと向かう。ある意味では苦行の積み重ねなのかもしれない。

クラブの課題は、サポーターが重ねている「苦行」を少しでも緩和し、「勝てなかったけれど、ある意味楽しかったね」を積んでいくことなのだろう。もちろん、勝利が最高だ。しかし、スポーツである以上、勝利を約束することはできない。バルセロナだって、プラジル代表だって、負けることはある。まして、世界トップクラスに競争が激しいJリーグにおいても、優勝した川崎Fは磐田に5失点の大敗を喫し、降格してしまった甲府とも2−2で引き分けた。準優勝の鹿島も川崎Fには2試合とも3失点で敗北。磐田・FC東京にも1分1敗と勝利できていない。東京ディズニーリゾートなどのように、楽しさを約束できないのだ。それでも、娯楽として成立させねばならない。至難の業である。でも、やらねばならないのだ。

富士山は、天候によってその荘厳な姿を見せてくれないことがある。だけど、誰もが晴れた時の素晴らしさを知っているから、「次こそは見たい」という気持ちになるものだ。そういう期待感を高めるには、素晴らしさを経験できるその頻度を高めないといけない。結果だけでなく、非日常の空気感をグッと盛り上げないといけないのだ。それが、クラブのやるべき仕事であり、目標でもあるのだろう。

2018年、新しき年の訪れに感謝し、サンフレッチェ広島やJリーグ、日本サッカー界の未来を祈念すると共に、読者の皆さまのご健勝をお祈りしたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

 

(了)

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