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川辺駿の帰還

2013年3月30日、アウェイでの清水戦が川辺駿のデビュー戦。当時、彼は高校3年にになろうとしている少年だった。

 

この3年、広島サポーターは大きな「ロス」を感じていた。「次世代を築く」とおおいに期待していた若い選手たちが、次々と期限付きで移籍していったからだ。

広島は育成型クラブではなかったのか。

戦力の厚みはなくなった。

メディアも含め、このやり方には大きな批判がクラブを包んだ。

その批判の底流には、「活躍したら、そのまま帰ってこないのではないか」という怖れもあった。それは過去、期限付き移籍した選手が活躍し、そのまま移籍先でレギュラーを獲得した上で完全移籍となるケース、いわゆる「借りパク」が多かったからだ。期限付き移籍とは契約を保持したまま、選手を他クラブに貸し出す制度であり、契約上は移籍元にある。期限付き移籍期間が終了すれば、選手の意思に関係なくチームに戻るのがすじだ。移籍先で活躍しようがどうだろうが、関係はない。

だが、広島はそうしなかった。それは伝統的に、選手の意思を尊重する風土がこのクラブに存在するからだ。それは移籍を決める時も同じ。期限付きも含めて移籍のオファーがあった場合、クラブはまず選手の意思を確認する。そして「移籍したい」という意志を明確に示した場合、基本的には移籍を了承するのが広島の伝統だ。心が広島にない選手を引き留めようとしても、あるいは契約をたてにとって拘束しても、両者にとっていいことはないからだ。かつて移籍したいと表明した選手を引き留めたものの、翌年のプレーに精彩を欠き、選手の価値を落としてしまった例もある。それによってクラブのイメージも損なってしまったのだ。

2015年開幕前に磐田へ期限付き移籍した川辺駿の場合、当時のチームでは活躍の場所がなかったことは事実である。ボランチは青山敏弘と森崎和幸が鉄板であり、彼らに何かがあっても柴崎晃誠がいる。シャドーは高萩洋次郎は移籍したものの、浅野拓磨や野津田岳人が高く評価され、ドウグラスもいた。さらに柴崎がキャンプからシャドーで起用されて手応えをつかみ、なんといっても森崎浩司が素晴らしいパフォーマンスを見せていた。才能は誰もが認めていたが、2年目の彼がタイトルを狙うチームの一翼を担うまでには至っていなかった。

一方、評論家時代に広島との関係性を深めていた磐田・名波浩監督は、川辺駿というタレントに惚れ込み、「磐田のJ1昇格のために力を貸して欲しい」と広島に期限付きでの移籍を打診。出場機会を求めていた川辺も「磐田に行きたい」と心を決めた。

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