名将論/ミハイロ・ペトロヴィッチと森保一(後編)
どんな監督にも、終わりが来る。永久政権かと思われたアレックス・ファーガソン(マンチェスター・ユナイテッド)も、27年もの監督生活に終わりを告げる日が来たわけだし、グアルディオラやモウリーニョといった名監督たちも、やはり始まりと終わりがある。もちろん、ミハイロ・ペトロヴィッチや森保一の二人にもまた、終焉が来た。それは当然のことだ。
ミシャが創り、森保が磨いた「広島サッカー」(ミシャは浦和でも同じサッカーをやっていたのだが、ここはてあえて「広島」と言わせていただく。オリジナルだということで)は、もはや賞味期限が尽きたのか。
そんなことはあるまい。
もちろん、特殊な戦術でありフォーメイションだっただけに、研究されやすいという側面は、確かにある。ただここで考えたいのは、広島や浦和と闘う時に「対策」を立てたチームは、自分たちのストロングな部分を捨てているということだ。
多くの監督はフォーメイションを固定し、戦術を構築して選手をそこに当てはめる。キャンプから自分たちのフォーメイションでトレーニングし、その動き方を選手たちは学び、戦術として準備していくわけだ。
だが、広島や浦和とやる時、「対策」ばかりを考えたチームは、フォーメイションを含めて戦術が変わる。3-4-2-1を採用したミラーゲームを仕掛けてきたり、形そのものを変えるだけでなく「オールコート・マンツーマン」を仕掛けてみたり。自分たちが長い時間をかけて磨き上げ、「こう闘えば勝てるんだ」というやり方を捨ててまで、広島や浦和の対策を立てざるをえなかった。
確かにそれは広島・浦和の対策ではあるが、一方で自分たちの得意としてきた形を失っている。「負けない」ということに対しては有効であっても、「勝つ」という目標を達成するのは難しい。広島と浦和が長きにわたって上位を占めてきたのも、この「対策」が逆の効果を生み出しているとも考えられる。工藤壮人が柏時代、対面のストッパーである水本裕貴のオールコート・マンツーマンを命じられたことがあった。守備の効果はあったが、彼が本来もっている攻撃力は当然、減退せざるをえない。
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