【歴史に学べ】ヴァレリーを救った守護神・下田崇〜2001年の広島と現在との共通項を探る。Part.6
GKとは、勝負を決められるポジションである。
たとえ20本のシュートを打たれても、30本打たれても、全てをGKが止められれば失点はしない。失点しなければ、負けはしない。勝ち点1である。だが、もしGKがたった1本のシュートの処理をミスしてしまえば、そこで失点。そのまま0-1で負けてしまうことはサッカーではよくあることだ。
とはいえ、「勝負を決められる」という言葉の意味は、それだけではない。
誰もが「やられた」と思ったその瞬間、GKが信じられない反応を見せてシュートを止めた。その事実がフィールドの選手たちに与える勇気は、計り知れない。地獄からの生還。その事実ほど、力を得られるものはない。磐田戦で林卓人が松井大輔のシュートを止め、横浜FM戦での中林洋次が齋藤学のドリブルシュートを封じた。驚愕のセービングに力を得て、磐田戦では劣勢下でも我慢が続いて勝ち点1。横浜FM戦では見事な逆転勝ちにつながった。
2015年、林卓人の存在が広島の優勝に直結したことは言うまでもない。西川周作が「ベストイレブンは(林)卓人さん」と語るのも当然であり、信じがたいプレーの連続があるからこそ、チームはうまくいっていない時にも我慢し続けることができた。この年のMVPは青山敏弘だったが、林が受賞しても全くおかしくなかった。そして、林を称賛した西川にしても、2013年の広島連覇に果たした貢献度ははかりしれない。この年のMVPは間違いなく西川だと思っていた。
過去のJリーグアウォーズだけでなく、FIFAのMVPにしても、バロンドールにしても、GKが選出された例はほとんどない。Jリーグアウォーズでは楢崎正剛だけ。バロンドールではレフ・ヤシン(ソ連)だけ。カシージャス(スペイン)やブッフォン(イタリア)、ノイアー(ドイツ)やカーン(ドイツ)、シュマイケル(スウェーデン)ら歴史的な名GKですら、受賞を逃している。しかし、歴史を創った強豪には名GKが存在するのも確かだ。特に近代サッカーにおいては、GKの資質や能力がチームの勝敗に大きく影響することも疑いない。それは、2006年ワールドカップのイタリア(ブッフォン)、2010年のスペイン(カシージャス)が、2014年のドイツ(ノイアー)が証明しているではないか。
そして、2001年の広島を救ったのも、下田崇という歴史的な名GKだ。林卓人は今も下田のゴール・キーピングを理想として掲げているほどで、GK王国広島の中でも白眉と言える活躍を見せた。後に彼は、2003年シーズンのPKを全て止めるという快挙を達成したこともある(4本全て止め、1試合2本のPKを止めたことも)。
勝利すれば、ほぼ残留を決めることができる金沢でのG大阪戦、下田は22分の吉原宏太のシュートを止めただけでなく、27分は片野坂知宏、その直後のCKから吉原ボレー。5分間で3本もの決定的なシュートを全て防いだ。このうちのどれか1本でも決められていれば、試合は0-2。逆転勝ちが1度もなかった広島にとっては致命傷となったはずだ。それがわかっているからこそ、選手たちの中に大きな勇気が芽生える。
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