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10番・久保竜彦の物語「君は久保を見たか」Part.4〜結婚

現役時代からその実力を認めていた森崎浩司アンバサダーと。浩司の初得点は、久保のアシストから生まれた。

 

1997年7月20日、久保竜彦は結婚した。プロ3年目、まだ20歳。「若すぎる」という声もゼロではなかったが、当時の総監督である今西和男氏が「早く結婚した方がいい」とすすめた結果である。久保の両親に対しても「結婚して落ち着けば、竜彦くんは日本を代表する選手になれる」と説得したのも今西総監督だった。

お相手となった佳奈子さんは、筑陽学園高時代の同級生。ホワッとした雰囲気の明るい女性で、それは20年たった今でも変わっていない。結婚翌年に誕生した長女・柚季さんは一時、広島の女子サッカーチームである「アンジュビオレ広島」に在籍した後、今年から関西の大学に進学。外国語系の学部で学び、未来はホテルマンを目指す。少女の頃から中国語に堪能で、「黙っていても自分でずっと本を読んでいた」(久保)ほど学ぶことが好きな女性に成長した。

次女の杏夏さんは昨年、全国小学生テニス大会女子シングルス部門で見事に優勝したテニス少女。負けん気が強く、徹底して勝利にこだわる姿は現役時代の父親そっくり。最近もクロアチアに遠征するなど、将来を嘱望されている少女だ。佳奈子さんの日常は次女のテニスのサポートを主となっているが、久保竜彦もハンドルを握って遠征の運転手をかってでるケースもある。いずれにしても夫婦2人、個性的な娘たちを懸命に育てている最中だ。

1999年、日本でも当時は稀だった有料メールマガジン「広島フットボール」を創刊した時、久保竜彦に「奧さんに取材させてほしい」と直接、話を持ちかけた。当時、まったくの無名から日本代表にかけあがった彼への注目が少しずつあがってきていたことは確かだが、なにせ取材でも言葉をほとんど発しないため、サポーターにも今ひとつ、彼の面白い人間性が伝わっていかない。だったら、もっとも近くで見ている佳奈子さんに取材すれば、違った角度からの久保竜彦が見れるのではないか。

ダメ元で聞いたのだが、答えは「いいっすよ、いつ来ます?」。当時、彼が住んでいたマンションに招かれ、そこで話を聴けることとなったのだ。あまりにあっさりとした展開。でも、これが久保竜彦なのである。

練習帰り、彼と一緒にマンションを訪れると、佳奈子さんが満面の笑みで迎えてくれた。リビングで話が聴けることとなり、久保本人は隣の部屋でゲーム三昧。

「いらんこと言うになよ」と佳奈子さんに。「うん」。笑顔で応える。

九州の夫婦だな。

咄嗟に感じた。今はどうかわからないが、九州ではたいてい、夫が威張っている。だが、家庭の実権は妻が握っていて、大事なことは妻の同意がなければ何一つ、決まらない。妻からすれば「威張らせている」のである。自分自身、九州出身だけに、その構造は痛いほどわかる。彼らが本当にそういう形なのかどうかは、もちろん、わからない。ただ、雰囲気はまさに、典型的な九州の夫婦だ。

今回、その時のインタビューを引っ張り出し、再構成してお届けする。久保竜彦の自由闊達さは、彼女なくしてはありえない。その本質は、恋愛時代から新婚当時の、2人のドラマで証明されると考える。

(残り 2940文字/全文: 4323文字)

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