10番・久保竜彦の物語「君は久保を見たか」Part.3
1995年、僕は「アスリートマガジン」という広島のスポーツ誌で、サンフレッチェ広島の担当記者となった。日本代表についての投稿が認められ、手薄だったサッカー担当に採用されたのである。
憧れだったスポーツライター。ローカルとはいえ、プロの選手を取材できる。記事を書ける。嬉しかった。
ある時、僕はピーター・ハウストラという元オランダ代表選手にインタビューを行なった。彼は典型的なウイングプレーヤーで、抜群の左クロスを持っていた。当時のエースである高木琢也(現長崎監督)の高さを活かすには最適のアシスト役となれる存在だったのだが、その高木は前年のチャンピオンシップで左アキレス腱を断裂。ハウストラが来日した時には、パートナーになるべきストライカー不在という状況だった。
グラスゴー・レンジャーズ(スコットランド)で活躍して何度も優勝を重ねた。オレンジのオランダ代表のシャツも身にまとった経験を持つ彼は、明白に他の選手とは違うクオリティを持っていた。左クロスは抜群のコントロールをもって狙い所にピシャリと落ちる。どんなにDFが乱立していても、どんなに自身にマークがついていても、ハウストラの左足にブレはない。決してスピードのあるタイプではなかったが、ボール1個分だけ相手より前に出て、精密にクロスを入れるスタイルは、当時の「何がなんでも突破」という日本のワイドアタッカーとは明白に違いを見せつけていたし、彼と共にプレーしていた路木龍次や服部公太らに大きな影響を与えた。
ただ、当時のマスコミでは、ゴールを決めない外国人選手は評価を受けない。いかに素晴らしい質のボールを入れ続けても、中の選手が決めてくれないとアシストにはならないから、数字もあがらない。身体能力がずば抜けているわけでもないハウストラの評価は、そのクオリティに全く似合わないほど、低かった。
僕はハウストラのプレーが好きだった。何よりもうまい。そして献身的だし、エゴイストではなくチームのために献身しているスタイルが広島に合っていると感じた。その彼のインタビューができる。緊張した。
「期待している若手は、誰ですか?」
こんな質問を投げかけてみた。当たり前すぎる問いではあるが、当時の自分にはそれが精一杯。想定している選手の名前は、たとえばU-20日本代表であり、ワールドユースでもプレーした大木勉。あるいは南宇和高(愛媛)で活躍を見せたU-19日本代表の吉村光示。そういう名前があがるのかと予想していた。
だが、ハウストラは真っ先に違う名前をあげた。
「僕のモースト・フェイバレット・プレーヤーは、久保竜彦だね。本当にセンスを感じるよ」
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