☆☆☆無料記事☆☆☆「心に響いた青山敏弘選手のことば」【Voice of the Pitch】~千葉和彦インタビュー vol.3~
8月の終わり。猛暑が続く聖籠の練習場で、ひたすら走って自分を追い込む姿があった。39歳になってなお、もっと先を目指し続ける。そしてシーズンも佳境を迎えた今、ずっと刺激を受けてきたサンフレッチェ広島の元チームメートで同世代の青山敏弘選手の現役引退が発表された。インタビューvol.3の今回は、無料でお読みいただけます。
■今日も自分と戦い続ける
――このタイミングで千葉選手に話を聞かなければと思ったのは、夏、8月の終わりに聖籠に取材に来たとき、全体練習の後に千葉選手がずっと走って、ひたすら自分を追い込んでいる姿が強烈に印象に残ったからです。走るだけではなく、長いボールを蹴って、受けて、コントロールして、また蹴って……という、本当に基礎的な個人練習も長い時間やっていて。千葉選手が、いかに戦っているかが伝わってきました。
「自分としては、何か特別なことをやっている意識はないです。必要だからやっていることで。なかなか試合に出られない中で、いざメンバーに呼ばれたときに自分のパフォーマンスを出せないのは嫌じゃないですか。自分の機嫌を取るのは、自分しかいないと思うんですよね。コンディションを整えるのも。
必要だと思うからやっているだけで、できれば誰にも見られずやりたいくらいです。だけどチームの練習後、どこかに移動してとなると時間がかかるし、そもそもやれる場所もないし。ボールを蹴るにしても、誰かに手伝ってもらわなきゃならないですからね。必然的に、聖籠で居残ってやることになるんです。
(現役が)終わるまで続くことだと思います。別に僕だけじゃなく、みんなやっていることだと思います。本当にね、今もサッカーがもっとうまくなりたいと思っているんですよ。昔と変わらず。
この気持ちがなくなったときは、もうだめだと思います。『今日はしんどいし、やらなくていいかな』と思って、本当にやらなくなったら。立場こそ違えど、クリスティアーノ・ロナウドでさえ、『今日はジムに行きたくないな』と思う日があるくらいですからね。だけど、それに打ち勝って今日もジムに行く。やっていることはロナウドと同じだと思っています。『一緒にするな』と怒られそうですが。でも誰かに勝つというより、自分と戦い続けている部分は一緒だと思います」
――その意味で、同年代の38歳で、サンフレッチェ広島でともにプレーした青山敏弘選手が今シーズン限りでの現役引退を発表しました。思うところも大きかったのでは。
「本当に負けず嫌いな選手で。そこまで頻繁に連絡するというわけではありませんが、LINEなどでやり取りをする中で『もっともっとやらないとだめだ』というところは、ずっと変わらないです。ストイックで自分のことを簡単には認めない。心の強い男です。彼は早生まれで学年は一緒なんですが、人として心から尊敬しています。
一つ上では、(矢野)貴章くん(栃木SC)もがんばっています。2人とも単なる元のチームメートという以上の存在です。僕もそうですが、彼らも日々、自分に戦いを挑み続けていると思うんです。その根幹にあるのは、やっぱりうまくなりたいという気持ちで。僕は今も毎日、すべての練習メニューで、もっとうまくプレーできるようになりたいと思いながら取り組んでいます。1日、1日、その積み重ねです」
――青山選手から引退の連絡は来たのですか?
「発表する2週間くらい前に『一番、最初に伝えさせてもらう』と連絡をもらいました。『そんな話は聞きたくねえよ』と返したんですが。
彼の性格はよく分かるので、何かをあきらめたわけではなく、最後の最後まで自分と戦って、その結果、下した決断だと思います。まだまだ続けてほしいという気持ちは、もちろんあります。ですが、その決断は最大限にリスペクトします。
僕が勝手に思っているだけなんですけど、彼がいたから自分もここまで戦ってこれたというのはあります。同志として、ずっと一緒に走ってくれた存在ですね。広島は今、リーグで優勝争いをしていて、青山選手自身、『タイトルを取って終わる』ということを言っていたし、これ以上ない形で去るんだろうな、と想像しています。
『一緒に優勝しよう』ということを言ってもらえたんですよ。『俺はリーグで優勝するから、千葉ちゃんはルヴァンカップで優勝してくれ』って。本当に心に響きましたね。ルヴァンカップに優勝したら、新潟のみなさんだけではなく、喜んでくれる人がいるんだと気づいたし、優勝したい思いがいっそう強くなりました。それが、リーグ優勝を目指す彼の背中をもう一押しする、一つのきっかけになればいいな、と思います」
(つづく)
【プロフィール】
千葉和彦(ちば・かずひこ)/1985年6月21日生まれ、北海道出身。183㎝、77㎏。背番号35。日生学園第二高等学校から2004年、オランダ2部のAGOVVアプルドーレンに加入。翌シーズン、ドートレヒトに移籍し、05年8月、練習参加を経てアルビレックス新潟に加入した。ボランチ、センターバックで巧みな配球を武器にプレーするユーティリティー性を発揮し、着実に成長すると、12年、サンフレッチェ広島に完全移籍。センターバック不動のレギュラーとして同年のJ1初優勝、13年のJ1連覇、15年の3度目のリーグ優勝に貢献した。19年、名古屋グランパスに完全移籍。21年、完全移籍で9シーズンぶりに新潟に復帰し、アルベル前監督のもと、ボールを保持しながら攻撃するスタイルに舵(かじ)を切ったチームの中で、持ち味の配球力を生かして大いに存在感を発揮。22年のJ1昇格、さらにJ1で戦うチームを頼もしく支え続けている。