【無料公開】寺田周平監督が語る覚悟。そして福島で思い描く未来像 1/3【インタビュー】
今季、寺田周平さんが福島ユナイテッドFCに移籍し監督に就任した。寺田さんといえばフロンターレで選手として12シーズン。指導者として13シーズンを送ってきたフロンターレ一筋のサッカー人生を歩んできた方。その寺田監督が新天地に選んだ福島でどんな日々を送ってきたのか。そして今後、どんなところを目指していくのか。その思いを監督就任の経緯などと共にお伝えしたい。全3回。1本目は無料公開
■退路を断って福島へ
終始にこやかに対応してくれていた寺田周平監督の表情が曇る。
声のトーンを落とし「言い方は難しいんですけど、なんて言えばいいのかな、、。良く言われるんですよね『フロンターレにまだ籍があるんじゃないのか』とか。『フロンターレとつながりがあって、いずれ戻るんだろう』みたいな。それは結構言われるんですよ」と切り出す寺田監督。今季から監督に就任した福島ユナイテッドFCでの日々について伺ってきたインタビューの終盤に、フロンターレサポーターに一言いただけますかとお願いしたときのことだった。
寺田監督はフロンターレには選手として12シーズン、指導者として13年。合計で25年間在籍。だからフロンターレサポーターに対する言葉もあるのではないかと考えた。ところが寺田監督は「僕はもうレンタル移籍でもなく、覚悟を持って出てきたんで」と言う。 ただ世間の受け止めは当然違う。
「いろんな人と話すと『戻るんでしょ』とかって言われて」その都度「いや、そんな話はないし、僕は退路を断って、勝負をしにきてるんだっていう話をしてるんですけどね」と伝えてきたのだと言う。そして改めて、「僕は福島で頑張ろうと思っているので」と口にした。
そんな寺田監督ではあるが「カテゴリも違うんで。別の意味で福島も気にしてもらって。松長根(悠仁)とか、大関(友翔)とかね。ああいうレンタルで来てる選手も居るので。フロンターレのサポーターにも、ちょっと注目してもらって、見てもらって。YS横浜戦の時もかなり来てくれてたみたいですし、そうやって気にかけてもらえるのはすごくありがたいです」と感謝して、「それなりに面白いサッカーを僕は表現できてると思っているので」と、良かったら見てみてほしいと呼びかけた。
軽い気持ちでコメントをお願いしたが、そのおかげで福島での監督業の思いについて深堀りして教えていただけた。そんな寺田監督に感謝しつつ、監督業との向き合い方と、福島への思いを聞かせていただけた。
■不安だからこそ、頑張れる
――退路を断ってという言い方をされましたがそう言われて思い出すことがありました。フロンターレのコーチ時代に単年度契約は不安なのではないかと質問すると、毎年毎年更新をされることを楽しんでいる、という言い方をされていました。自分の腕一つで評価される世界を楽しんでいるんですかね。
「フロンターレを出る時に、居ようと思えば居れれたと思いますが、こうやって飛び出してきて、監督として、結果が出なかったら次はないじゃないですか。どこからも声はかからないだろうし。なんか、えらい勝負だなこれ、とチラっと思うところもあって。だけどなんですかね。なんとかなるだろうというところと、だからこそ手を抜けないし。まずは半年。自分のサッカーというところをしっかりと落とし込んで表現して。インパクトを残さないといけないなっていう。だから、不安要素はありますよね。もしかしたら開幕から結果が出なかったら数ヶ月でダメだってなって。そしたらもう次はないわけですからね」
――特にJ3はプロの一番下のカテゴリーですから、ここでうまくいかなかったら、おっしゃる通りで次は厳しくなる。
「まだ今だって安泰じゃないし、まだまだ結果を残さないと今後の指導者人生がどうなるかというのはあるんですけど、だからこそ多分、パワーを掛けられるんでしょうね。そうやって追い込まれて。ただ、そこに変にプレッシャーは感じて無いです。何とかなるだろうって。なんだろうな、確かに『よくフロンターレ出たね』って言われて。自分を第三者で俯瞰してみると、確かになって思うところがあります。冷静に、本当に悪いことを考えたら、めっちゃ不安ですよ。でも、だからこそ頑張れるのかもしれないですね」
――でも何かサッカーの良さかもしれないですね。そうやって勝負していけるっていうのは。日本中にサッカークラブはあるし。
「あとは何か、自分の経験で言えばケガも多かったじゃないですか。それこそプロ入る前にもああいう浪人があったりとか、自分がこうやっていろんなことを乗り越えてきて、厳しい思いとか辛い思いとかして、大変なところに身を置いたことで、成長できたっていうのは、やっぱり自分の中で実感しているので。これが今、監督大変だけど、当然今成長できてるし。例えばこれがアウトになって、やばい、人生やばいってなったとしても、そこでもがいたら、もう一回自分が成長できるんじゃないかなとか。そういう気持ちはすごいあるかもしれないですね」
――その都度その都度切り開いて行くと。
「かなり追い込まれたりしてますからね。それこそプロに入る前なんて、どうしようという状況でしたし。ケガしてて、リハビリが長かった時も、もう終わりかなと思ったけど。今、こうやって監督できてますから。なんとかなるだろうと。それなりの経験はどの選手もしていると思いますが、自分なりに大変な思いをしてきているというのはあるし。それが成長させてくれたっていうところはあるので。とにかく、楽しく過ごそうと思ってます」
■J3の福島をJ1へ
――そういう自分ご自身の経験を踏まえると、J3から這い上がっていくみたいなことも、選手に伝えやすいかもしれないですね。
「本当に勝てない時とか、やっぱり苦しんでもがいててもこれを乗り越えれば成長できるって話はするし。福島はこういう状況で、お客さんは少ないけど、これを増やして行って、スタジアムを作るなんて話が出てきて。そんなところに関われたらそんな楽しいことないじゃないですか。そういうところに来られたというのは大きいですよね。現状を知ってる立場から、J2、J1とか上がっていけたら、なんて思い描いてますけどね。そう簡単には行かないんだけど。でも、そういうきっかけのところに携われたら、面白いなと思ってるんで。何とかこの福島で、もがいて、苦しんで。でも楽しみながらですけど、ただ居れる限りはここで頑張りたいなと、いうのは思っています。何とかJ1までって。それは僕が決めることじゃないんですけど。やっていきたいなという思いはあります」
――フロンターレ時代も2〜3000人の観客のところから始まってますしね。
「結構、思い出しますよ。イベントでサイン会に行ったら10人ぐらいしかいなくて、そのうち4人が親戚だったとか(笑)。そういう経験をしてるから、なんか懐かしいなあと思いながら。でもね、これからそういうふうに増えていくっていうのをね、今居るスタッフを巻き込んで、強いクラブにね、大きいクラブになったらね。こういう地方都市のクラブがそうなったら面白いですよね」
――サポーターも熱い方が多そうですね。先日のYS横浜戦の時に、試合前のチャントを聞いていたら、郷土愛を歌っていてなんか良かったです(笑)。そういうサポーターなんだなと思ってちょっと感動しました。
「アウェイにもね、毎回来てくださっているサポーターも居ますし、そういうのを見てたら、頑張らなきゃと思いますよね」
――今後、スタジアムが地元に欲しいという声が出てきて、本当に作られるような話になって、って考えていくと、本当に楽しみですね。
「そうですよ。楽しみですよ。だからやりがいはめちゃくちゃありますよ。このクラブは。本当にいい選手がいますし、楽しいですよ。色んな人に福島のサッカーを見に来てくださいと言っといてください」
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(取材・文江藤高志 写真/©Fukushima United FC )