「川崎フットボールアディクト」

”あのころ”の暴走と”鬼木コーチ”。そして、次なる目標【コラム】

ミックスゾーンで田中パウロ淳一が取材に応じてくれていた時、ちょうど鬼木達監督が通りがかった。

「ダメですよ、こんなチャラいの、取材して(笑)」と茶化した鬼木監督は、試合終了後にもパウロと二人で立ち話していた。

その立ち話について、どんな話だったのかを聞かれたパウロは「『覚えてる?』って言われて」と話し始めた。

パウロがフロンターレに加入した2012年、退団した2013年に鬼木監督はコーチを務めていた。当然鬼木監督のことをパウロが忘れているはずがない。だから、鬼木監督の冗談なのかと受け止めていたら、パウロが続けて口にしたのは意外な言葉だった。

「オニさんが一番止めてくれたんですよ」

パウロが口にしたのは、2013年にチームを飛び出した時の話。色々な人が止めた、シーズン途中の退団について当時の鬼木コーチが一番止めていたのだという。
「何回も何回も、寮に来て。何回もご飯に行って。電話もめっちゃ、掛かってきて」

鬼木監督は、パウロとのそのやり取りを「覚えてる?」と口にしていたのだ。そんな当時の鬼木コーチの親心とも言えるそのやり取りを明かしてくれたパウロは「僕も若かったので」と口にした。

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そして「なかなかいい感じで戻ってこれなかったんですけど、また戻ってこれるように頑張ります」と気持ちを切り替えていた。

関東サッカーリーグ1部の栃木シティは、日本のサッカー界のカテゴリーの序列で言うと5部相当にあたるチームだ。そのチームがフロンターレと対戦するには、かなりの時間と労力がかかることになる。遠い道のりではあるが、パウロにはいつの日かその夢を叶えてほしいと思う。

そして試合後に「チームが負けて。あそこに立つのは今じゃないかなって」思ったというフロンターレサポーターの前に立ち、今度は胸を張って挨拶してもらいたいと思う。

(取材・文・写真/江藤高志)

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