FOOTBALL TODAY KANAZAWA

三浦基瑛が地元・野々市市で講演「菅原小学校の人もたくさん来てくれたので、すごく話しやすかった」【無料記事】

3日、三浦基瑛が地元・野々市市のコミュニティカレッジ公開講座に講師として登場。「粒粒辛苦〜夢に向かって挑戦!〜」と題し、夢をかなえるために必要なことを市民約70人に語った。

会場となった、にぎわいの里ののいちカミーノのホールは、ほぼ満席。三浦が小学生の頃にプレーした菅原少年サッカークラブの子どもたちと保護者が多数来場したこともあり、主催者も「こんなに子どもさんの姿を見るのは(公開講座が)始まって以来」と話すほど、サッカー少年・少女の姿が目立っていた。

 

そんな後輩たちの前で、三浦はまず昔の写真を見せながら自身の生い立ちを紹介。サッカーを始めた頃はフィールドプレイヤーだったこと、小学生の1年間、人がいなかったのでキーパーをやったこと、中学校からはキーパー専門になったことなどに触れ、「最初の試合はブカブカの靴を履いていて、シュートを打つたびに飛んでいった。頻繁にひとり少なくなるのでチームメイトには迷惑をかけていた」と、笑いを交えて語った。

 

また、この日の演題にもなっていた「粒粒辛苦」は三浦自身の座右の銘であり、「こつこつと小さな苦労や努力を重ねて大きなことを成し遂げる」と、その意味を説明。小学5年生の頃、四字熟語を学ぶ授業のときに「どうせなら難しい言葉をおぼえてやろう」と辞書を調べているときに出合った言葉であり、高校時代の苦しい練習も、大学そしてプロに入ってからの試合に出られない時期も、この言葉を大切にしていたと話した。

その後は質問コーナーに移り、「好きな食べ物や店」「左足がうまくなるためには?」「プロになるために意識したこと、諦めたことはあったか」「プロになるためにサッカー以外で必要なことは?」など、硬軟入り混じった質問が切れ間なく続く。10問以上質問が出ても、まだまだ質問はありそうだったが、予定の16時を迎えたため講演は終了となった。

 

その後はサイン会に長蛇の列。三浦は30分以上かけて、丁寧に応援してくれる地元の方々にファンサービスを行っていた。

 

以下、講演会終了後の三浦のコメントです。

 

ーーこれまでに講演会の経験は?
「初めて。相模原のときにはzoomで画面を通して小学生に話をするということはあったけど、これほど大規模ではなかった。ひとりで講演会をする機会は滅多にないですよね」

ーー初の講演会を終えての感想は?
「予定していたほど、うまく話せたかどうかはわからない。子どもたちだけだと話をしやすいところもあるけど、親御さんもいるということで、何か引っかかればなと思ったけど、どうですかね」

ーー高校時代の厳しさなどはかなり伝わってきた。
「苦労を重ねた時期でもあったし、いいことばかりじゃないよというのは一番伝えかったとことでもあったので」

ーーやはり伝えたかったのは、そういうところ?
「粒粒辛苦というのが今回のテーマ。プロサッカー選手になってからも、なる前も、うまくいかないこともあるし、成功ばかりではなかった。挫折もあるし、理不尽なことでも受け入れなければいけないこともある。そういう経験をして(自分は)柔軟になった。試合に出ても、出なくてもそうだし、出なかったときの振る舞いは一番大事。腐ったらそこで終わり。腐らずにどこまでできるかということは伝えたかった」

ーー「粒粒辛苦」にもっと触れるのかと思っていたが?
「意外とあっさりだったけど、いろんな質問を通して、それは伝えられた。苦労を重ねていまがある、ではないけど、(プロになった自分も)思った通りにはいかなかったんだなと、わかっていただければと思う」

ーー恩師の言葉などではなく、自分で辞書で見つけた言葉だったんですね。
「(四字熟語の授業のときに)どうせなら難しい言葉を選んでやろうという気持ちもあった。全然知らない言葉を見つけてしまったけど、小学生ながら意味がすごいな、かっこいいなと思った」

ーー小学生には難しい意味だと思うが?
「小学生は自由奔放だし、耐えるということもそんなに知らないと思いますしね。でも、調べて、この言葉と出合ったおかげなのか、ここまで(の人生)はこの言葉通りになってしまった」

ーー高校でも大学でも、出られないときはこの言葉を思い出していた?
「考える時間が多かったので。大学では両親のもとを初めて離れて、いつでも逃げられる状況というか、自分自身との戦いになった。でも、自分ひとりでここまでこられたというわけではないので、感謝の気持ちをもって、いまは耐えるときだと思いながら準備をしていた。その結果、4年のときに試合に出られるようになった」

ーー相模原でも2年間は出られなかった。
「自分のなかでは大卒選手は即戦力で1年目から出られると勘違いしてしまった。持ち味を出しても自分の思い通りにいかなくて、挫折も経験したが、キーパーコーチからも腐っていたら終わりだという声をかけられた。そこから真面目に、練習で誰よりも止めるだったり、自分にできることは何かを探しながらやっていた」

ーー野々市市民、菅原小学校の子どもたちの反応はどうだった?
「自分と同じ菅原小学校の人もたくさん来てくれて、共通点もあったので、すごく話しやすかった。小学生の頃、自分はそこまでストイックにやっていたわけではないし、小学生の頃は楽しんでもいいのかなと思っている」

ーー質問もたくさんしてくれた。
「質問がなくて終わりだったらつらかったですよね。それに『彼女いますか』とか『年俸はいくらですか』というのではなく、みんな真面目に質問をしてくれてよかった」

ーー三浦選手にとって地元・野々市の方々はどういう存在?
「自分が野々市市出身ということもあって応援に駆けつけてくれるし、そういうきっかけでユニフォームを買ってくださる方もいる。自分が応援されているんだなということを、あらためて認識させてくれる存在です」

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ