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「モドリッチ自伝 マイゲーム」を読んで少しツエーゲンを想う【無料記事】

コンテンツを試行錯誤している現在。いろいろなweb・雑誌・書籍の記事をツエーゲンと関連づけながら、思ったことを書いてみるのもいいかなということで、不定期連載スタート。第1回目は「ルカ・モドリッチ自伝 マイゲーム」(東洋館出版社)を献本していただいたので、少し(本当に少し)ツエーゲンと関連づけながら感想を書いてみた。

 

ブラジルワールドカップでの鮮烈な印象

 

先週末、Jリーグよりひと足早く再開したラ・リーガ。レアル・マドリーのモドリッチはエイバル戦でスタメン出場したが、状態もよさそうで、守備にもよく戻り、飛び出しの鋭さや判断の早さなども目立った。

 

個人的にはサッカー選手の自伝にあまり興味はないが、モドリッチというサッカー選手には興味があった。なぜならば2年前のワールドカップでの印象が鮮烈だったからだ。もちろんモドリッチのプレーはそれまでにも見ていたが、あれほどまでに戦える選手だとは思っていなかった。大会当時、33歳目前だったモドリッチは決勝までの7試合すべてで先発出場(グループ突破を決めていた第3戦でも先発!)。決勝トーナメント1回戦からの3連続延長戦では過密日程のなかで誰よりもピッチを駆け回り、チームを鼓舞し続けていた。決勝戦を迎えるまでは参加全選手中トップの走行距離を誇るなど、その姿は鬼神のようだった。

 

それまでの戦う男の象徴と言えばモドリッチより、レアル・マドリーならセルヒオ・ラモス、クロアチア代表ならロブレンがふさわしいイメージだった。この本で翻訳を担当した長束恭行さんは2004年からモドリッチを取材。2013年には「あの青年が本当のリーダーになった」という感想を抱いたと「訳者あとがき」に記しているが、恥ずかしながらそれから遅れること5年、僕はロシアでの彼を目にして「真のリーダーだ」と感じることとなった。

 

この世にはリーダーとして「生まれる」選手がいる。ロイ・キーンだとかオリバー・カーンなんかがそういったイメージだ。しかしモドリッチは幼少期のエピソードを見ても、そうではなかったようだ。いや、若くしてディナモのキャプテンを務めていたから、素養はあったはずだ。ただ、本書のなかでボバン(そう、彼も真に戦える男!)も認めているとおり、モドリッチはリーダーに「なった」選手に分類されるのだろう。ではいかにしてリーダーに「なった」のか。それがこの本を読むうえで一番楽しみな部分であり、僕のなかでの最重要テーマだった。

 

なぜにそこまで戦うのか

 

読了後に見えた一つの答え、それは「自問自答」と「決断」だった。マミッチ裁判で世間のバッシングにあったとき、ロシアワールドカップ前最後の遠征で起きた空中分解の危機、カリニッチ追放事件、デンマーク戦で一度PKを失敗しながらPK戦でキッカーを務めたとき……。そのたびに「自分は何を目指しているのか。そのためには何をなすべきなのか」という心の揺れ・決断を下すまでの葛藤が映し出されていく。冒頭に「自伝に興味はない」と書いたが、この部分では自伝のよさが存分に発揮されていた。

 

ボクシング世界チャンピオンの村田諒太は王座陥落後、再度の世界挑戦を前にした気持ちをこう話していた。「(一度)世界チャンピオンになって少しハングリーさが欠如していた。もうハングリーなわけないんですよね。チャンピオンになって(オリンピックの)金メダル(も獲得して)という生活を送っていたので。たからハングリーっていうのは『求めるもの』なんです。何もない状況っていうのがハングリーっていうのなら(当時は)何もかもありすぎる(状況でした)」。

 

モドリッチもロシアワールドカップまでにクラブレベルでは何度もチャンピオンになっていた。ロシア大会直前にはチャンピオンズリーグ3連覇という前人未到の快挙も成し遂げている。それでも彼は母国を背負ってのタイトルを渇望した。心が折れかけても自問自答の末に「求めるもの」のために戻ってきた。

 

この自伝を読んでいたらクロアチア代表のモドリッチを無性に見たくなってきた。EURO予選やネーションズリーグは全然見られなかったから、代表でのモドリッチは2年ぐらい目にしていないことになる。クロアチアはEURO本戦出場を決めており、モドリッチもまだ代表を引退していない(はずだ)。だからこのままいけば延期となったEUROにもキャプテンとして出るはずだ。来年の夏、また大舞台で国を背負って戦う男の姿を楽しみに待ちたい。

 

不条理を乗り越えて生きる

 

そしてもう一つ、この本を読み進め、モドリッチの半生を辿るなかで感じたことがある。それは人生には不条理がつきまとう、ということだ。別れ、批判、対立……。昨日まであったもの、できたことが突然奪われる。理由もなく(少なくとも当人にはそう思われる)日常が一変する。彼のわずか30数年の歴史でも不条理なことが数多く起こっていた。

 

以前、金沢の辻尾真二アンバサダーを取材したとき、「現役時代よりも(引退して)営業をやっているほうが気持ちの面では楽だ」と話していた。これは決して営業の仕事のほうが気楽だと言っているのではない。サッカー選手は自分の調子はいいのに戦う舞台にさえ立てないことがある。それはメンタル的にとてもきつい、少なくとも営業の仕事なら戦う舞台には立てるから、という意味だ。

 

試合に出られなければステップアップもできないし、職を失うことにもなりかねない。自分が好調であってもチームの調子、監督との折り合い、政治的な要因等で仕事場にさえ立てない不条理。サッカー選手はそういったことと日常的に向き合っているんだな、と思ったのが去年の年末のことだった。

 

それから3ヶ月がたち、自分もこのコロナがきっかけとなって、さまざまな不条理に直面した。先日、インターハイや甲子園、総理大臣杯の中止が決まったが、高校生・大学生のプレイヤーも不条理を味わっただろう。サポーターのみなさんのなかにも同じ思いを抱いた人がいるはずだ。ツエーゲンのある日常がなくなった(少なくなった)ことも、それにあてはまるかもしれない。J再開後も数試合はリモートマッチが続くし、それ以降も行きたいときに試合を見に行ける日常はなかなか戻ってこないだろう。練習場でのファンサービスがいつ再開されるかもわからない。

 

それでも、置かれた状況のなかで「自問自答」をしながら、求めるもののために「決断」をして進むしかない。モドリッチはこの本のなかで決してそうは言っていない。だが、その半生はそう物語っているようでもあった。

 

追記:
ちなみにこの本にはクジェ監督(日本ではクゼ)、ムイチン、西村雄一主審、鹿島アントラーズ、ロシアワールドカップのベルギーvs日本戦など、日本との関わりもたびたび登場する。読み終わったらモドリッチとのつながりが深くなったような気分になった!

 

「ルカ・モドリッチ自伝 マイゲーム」
定価 2,200円(税込)
著  ルカ モドリッチ
ロベルト マッテオーニ
訳  長束 恭行
判型 四六判
頁  502ページ
発行 東洋館出版社
発売 6月30日

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