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バンドと岐阜県、FC岐阜。ロックでサッカーな久世良輔さんの熱い人生<前編>【Special Interview】

 

 
 2017シーズンからFC岐阜のスタジアムDJを務める久世良輔さんにスペシャルインタビューを敢行。高校生にしてバンドで“天下統一”を果たした久世さんはなぜその世界をリタイアし、FC岐阜とともにある人生へと進んだのか。前編の今回は地元の大垣を出て大垣に帰るまでを振り返る。
 
◆バンドの全国大会でグランプリ獲得
 
――高校時代のお写真を拝見するとリッケンバッカーのギターをお持ちですが、音楽のルーツは?
久世良輔 実はリッケンには関係なく、最初に始めたときの音楽はJUN SKY WALKER(S)とかTHE BLUE HEARTSだったんです。ビートの効いたパンク、いわゆるバンドブームのときの“バンド”でした。
――80年代後半の熱気真っ只中ですね。青春の。
久世良輔 まさにそうだと思います。ただ、カバーをせずにオリジナルをやってしまった。ぼくらは高校2年と3年のとき、Yokohama High School Hot Wave Festivalという音楽の甲子園に出場していたんですよ。決勝戦を横浜スタジアムでやる。
――すごいですね。
久世良輔 無茶苦茶、魅力的じゃないですか。応募して勝ち上がり、高校2年のときにグランプリを獲ったんです。
――高2にして日本一!?
久世良輔 ピークがそこという。
――いえいえ。
久世良輔 その後、高校卒業とともに上京して音楽事務所と契約する運びになり、大学生時代にアーティスト活動をしていたんですが、3枚のCDをリリースして早々にやめました。いまは社会人として趣味で「トライオン」というバンドをやっています。
――もったいない気もしますが……そこで一度やめたのはなぜですか?
久世良輔 トントン拍子に物事が進みすぎたんです。引き出しがあまりないのにオリジナルを始めたので、つづけることが苦しくなってきた。だから一度区切りをつけたくて、何かいいきっかけはないかと探していたところ、Dragon Ashと対バンする機会があったんです。ぼくらが当時21歳で彼らはベース以外のメンバーが18歳。年下にこれだけいいバンドが出てくるのであれば、ぼくらの出る幕ではないと言って、退くことにしました。
――お話を聞いているだけで、インプットがアウトプットに追いつかない苦しさが感じられます。
久世良輔 それはありましたね。勢いだけで勝てなくなってきたというか。早い段階で出し尽くして、層の薄さを露呈しました(苦笑)。
 
◆絶頂期でバンドの世界から足を洗う
 
――言い方を変えると、若くしてやりきった?
久世良輔 THE BLUE HEARTSみたいになりたいとは思ったけど、武道館でやりたいとか、ホールの全国ツアーをやりたいとか、CDを100万枚売りたい、そういう欲はなかったんです。とにかくいまやっていることが楽しくて、どこまで行けるか。岐阜県勢初、本選でスタジアムまで行ったという、そこで一回達成感があった。グランプリを獲ったときに至ってはアクシデントで直前に欠員が出て、その穴を埋めるためにギター以外が担当パートを変えて特訓して臨んでの栄冠だったので、特にしびれました。大会そのものが楽しかった。全部に背骨を通してやることは難しいじゃないですか。わからないながらに、もがいているなかでパッと掴めるものがぼくらにあっただけで、その先は考えていなかった。でも事務所に入り、レコード会社と契約し、インディーズブームを盛り上げ、CMソングを作り――と、ビジネスは進んでいって止められない。最後にDragon Ashと対バンして「あれには勝てない」と言ってやめたというのが真相です。
――混迷しないうちに転職できてよかった気もします。
久世良輔 そうですね、ちょうど大学卒業の区切りでもありましたし。
――ところで久世さんは大垣のお生まれですが、やはり大垣始発の『ムーンライトながら』は乗っていたんですか?
久世良輔 もちろんです(笑)。もう、マストです。それと青春18きっぷですね。バンドの遠征は基本的にはワゴン車でしたけど、大阪よりも遠い場合は機材を減らして電車を使っていました。『ムーンライトながら』に関しては、大学生当時は神奈川県の平塚に住んでいたので、大垣に帰省するときによく乗った記憶があります。また平塚がいい町で、平塚駅から平塚競技場(現在のBMW)までずっとベルマーレの旗がかかっているので、それを目印に30分歩きました。名良橋晃、田坂昭如、中田英寿が在籍していた時代で、町中でも選手を見かけました。
――2001年から2002年にかけてが社会人チームとしてのFC岐阜のスタートでしたが、その頃はまだ存在を知らなかった?
久世良輔 その頃は大学を卒業して東京で働いていて、まだ知りませんでした。
――ちなみにどんなお仕事を?
久世良輔 美術商でした。
――美術商?
久世良輔 美術品オークション会社に務めていました。数百万円の金額で落札するまでの司会をするので、バンド時代のステージ経験に加えて、度胸はついたと思います。
――すると、FC岐阜を知ったのは、東京をあとにしてからでしょうか?
久世良輔 そうですね。2003年に大垣へと帰り、司会、タレント業をフリーランスでやらせていただくようになったあとのことでした。2005年に“ゴリ”森山泰行さんが選手として、2006年には戸塚哲也さんが監督として来ると聞いて、決定的に興味がわきました。東海リーグからJFLに昇格したFC岐阜を観に、大垣市にある浅中公園総合グラウンド陸上競技場へ足を運んで。たぶん2007年だったと思います。以降、年間5試合から10試合観に行くようになり、近年は8試合から12試合を観るようになっていました。
 

後編につづく

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