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あらためて振り返る長島裕明トップチームヘッドコーチの足跡【コラム】

 
◆育成畑から出てJ2経験豊富な指導者に
 

 
 11月22日の練習でひと区切りを迎え、退任した長島裕明トップチームヘッドコーチ。その半生を遡ると、J2との接点は、権田修一(サガン鳥栖)、吉本一謙(アビスパ福岡)とはじめとする多くのJリーガーをFC東京の下部組織から送り出したあとのモンテディオ山形時代にたどり着く。2008シーズン、小林伸二監督の右腕として山形をJ1に昇格させ、2010年まで在籍した。すると同年、古巣の東京がJ2に降格。長島コーチは、育成ではなくトップチームのコーチとして、J1への復帰をめざす東京に戻った。東京は無事に一年でのJ1昇格を成し遂げるが、今度は徳島ヴォルティスで苦戦していた小林伸二監督に請われて移籍。2013シーズン、コーチとしてJ1昇格を達成した。このときの昇格プレーオフでは当時大木武監督が指揮していた京都サンガF.C.を国立競技場の決勝で下している。その長島コーチが、大木監督の率いる岐阜でコーチを務めたというのも何かの縁だろう。なお、徳島ではのちに監督も務めている。
 
◆日大コーチから一転、小学生の指導へ
 

 
 指導者のスタートは1991年、日本大学のコーチとしてだった。関東大学リーグ2部から1部に昇格したがすぐに降格。未熟だと感じ、

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