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14試合ぶりの勝利を呼んだ〝1〟の男たち~三島頌平<2>「このチームの象徴的な選手になれればいいと思います」【3回分載/Pick Up Interview】

 

 
 デル・ピエロさんの御前試合となったJ2第34節で引き分け、連敗を10で止めたものの、なお未勝利がつづく状態で迎えた第37節。ファジアーノ岡山を下し、チームをトンネルから脱出させたのは、ふたりのルーキーがもたらしたゴールだった。
 後半33分、三島頌平のJ初アシストとなるクロスを田中パウロ淳一が決めて同点。そして後半42分、執念の波状攻撃から石川大地のJ初ゴールで逆転──。
 
 くしくも、この試合で残したアシストとゴールが、それぞれ2018シーズン唯一のものとなった。
 2019シーズンへの期待を込め、岡山戦で貴重な〝1〟を刻んだ男たちに迫る。
 

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 今回は三島頌平の第2回。岐阜に対する気持ち、中央大学時代の思い出、プロとしての変化など、さらに深いところを探る。
 
◆FC岐阜の象徴に
 

「県産品をPRしていきたい」と殊勝な心構え。


――「岐阜県」の出身ですが、「岐阜」に対する想いにはどのようなものがありますか。
三島頌平 大学以外はずっと岐阜県内で過ごしてきて。でも、もともとFC岐阜に思い入れがあったかといえば、正直そうではなかった。ずっと多治見市だったので岐阜市は遠いですし、試合も観たことがなかったんですけど、一週間ほどの短いあいだでしたが練習参加したときに、ホームで公式戦を観させていただいて、サポーターも多かったですし、それにまずびっくりしました。以来、岐阜に対する想いは強くなったと思います。
――岐阜県は地域によって暮らし向きが多種多様で県産品もいろいろありそれぞれに郷土色が強く、連邦制国家ではありませんが、なかなか「岐阜」とひと括りにするのは難しいですよね。その前提で、三島選手が「ALL岐阜」を象徴する存在にもなりうるのでは。
三島頌平 チームで唯一の岐阜県出身選手なので、このチームの象徴的な選手になれればいいと思いますし、さきほど仰ったように岐阜にはいろいろな県産品があり、それらをPRしていけたらいいと思います。
――子どもの頃はどんな過ごし方をしていたんですか。
三島頌平 自然がいっぱいあるんです。岐阜県だったらどこもいっしょだと思うんですけど、公園もすごく大きいから、そういうところでよく遊んだ記憶が残っています。
――最初からサッカーというよりは、その環境で元気に育った。
三島頌平 そうですね。サッカーだけでなく野球もよくやっていましたし。
――それで運動神経がよくなった!?
三島頌平 いや、よくはないですけど(笑)、遊ぶとなったらサッカーにかぎらず野球、バスケ、とよく外で遊んでいたんです。家の中で遊ぶ、ゲームで遊ぶということがほとんどなかった。とりあえず外行って何かやるのが日課、みたいな感じでしたね。
――何かひとつだけではないと。
三島頌平 たぶん、サッカーだけやってたら飽きちゃってたと思うんですよ。いろいろ見てやってみたうえで、いちばんおもしろかったのがそれだったので。
――多治見に生まれ、可児でサッカーに取り組み、中央大学だけが関東で過ごした期間になりました。この時期の中央大学は三島選手と同じ学年、前後の学年で多くのJリーガーを輩出していて錚々たるメンバーだったと思うんですが、そうした仲間たちからどのような刺激を受けたのでしょうか。
三島頌平 ここまでを振り返ると、大学時代が自分にとっていちばん大きかったですね。ずっと可児市でサッカーをやって、

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