「ファジラボ」寺田弘幸

【一緒に夢を追った選手たちの今】西原誉志(後編)『楽しさはなかったですけど、喜びはありました』

残念ながら『ファジラボ』ではJ1に昇格する歓喜の瞬間をお伝えできませんでしたけど、たくさんの熱いドラマをお伝えできたと自負しています。

『ファジラボ』を休刊するにあたり、いろんな記憶が蘇ってきます。本当にたくさんの選手たちの顔が浮かんできた中で、特に思い出深い選手たちとコンタクトをとってみると、みんなが快く取材に応じてくれました。

後編では西原誉志にファジアーノでプレーしていたときの思い出を振り返ってもらいました。

内容
ファジアーノに加入したときの想い
プレーしていたときは楽しかった?
14年をもって現役引退。悔いはない
セカンドキャリアではもっと

【前編】『僕は誰よりもこのクラブで働く意味を持っている』

(取材・文 寺田弘幸)

ファジアーノに加入したときの想い

僕は結果を出してきた実績のある選手ではなかったですし、野心は弱めな選手でしたね(苦笑) それこそが選手として成功できなかった1つの原因だったのかもしれないです。僕の同年代には本田圭佑とか長友佑都とか岡崎慎司がいて、能力はもちろん野心を持ち続けることで日の丸を背負う選手になっていったところを見たときに、そう思いました。

負けず嫌いという部分も他の選手よりも少ない方だったと思いますが、そもそもの目標設定のところで、僕はプロになったあとの明確なビジョンを持てていなかったんです。正直、プロになってホッとしちゃった自分がいました。影さん(影山雅永元監督)にも、池上さん(池上三六元GM)にも、怒られてケツを叩かれた時期もあったんですけど、そこから締め直して目標設定していっても、もうしんどかったです。

元々の選手としての能力もあると思いますが、その能力をアップデートしていくための意志も自分は弱かったです。いろんな人と出会って支えていただいて何とか6年間プレーさせてもらったんですが、結果が出なかった要因はそういうところにあったのかなと思っているので、今はアカデミーの選手に常々言っています。
「プロになることを目標にはしてほしくない」と。プロになるかどうかは入口に立てるかどうかだけで、やっぱり入口に立ってから幸せなサッカー人生を送ることの方が大事ですから、目標はでっかく鮮明に持っていた方がいい。「プロになることを目標にするのではなく、どんなプロ選手になるのかを目標にしてね」とよく言っていますね。

プレーしていたときは楽しかった?

ほぼそういう気持ちはないです。楽しさはなかったですけど、喜びはありました。13年の地域リーグ決勝大会でJFL昇格が決まったり、12年の全国社会人サッカー選手権大会で3位になったり、そういう結果を出せたときの喜びはありましたね。確か12年の全社の3決は11人で戦ったんですよ。サブなしの状況で戦って成果を上げることができたあのときの喜びと新潟で昇格が決まったときの喜びは忘れられないですが、楽しさを感じたことはほぼないですね。

年齢も僕や新中(剛史)がどんどん上になっていく中で、組織としての目的を考えて自分がどうあるべきかを考えるようになっていきました。毎年、自分がトップチームで活躍することを目標にしてシーズンをスタートするんですけど、キャンプでふるいに掛けられて結果としてネクストでプレーすることになってからは、もちろん次の登録できるタイミングでトップに昇格することも考えますが、自分がいる場所で自分の責任を果たさないといけないという想いをもってやっていました。

唯一、楽しかったと言えるのはやっぱりトップチームにいることができた2010年ですかね。そのシーズンだけは他のネクストで過ごしたシーズンと違って楽しさを感じられていましたから。

14年をもって現役引退。悔いはない

あのときはジャッジする基準にトップチームで活躍できるのかだけを置いていましたし、あの年だけ『翌年はネクストで』という話をもらったんです。若手の模範になって彼らの成長につながる存在になってほしいという条件をいただいたので、このクラブでもうトップチームにチャレンジすることはできなくなる。「それじゃあ、他クラブで力をつけてもう1度岡山のトップチームに返り咲けるようなチャレンジをさせてください」とクラブに伝えて移籍先も探したんですが、そんなチャレンジができるような移籍先を見つけられなかったので、じゃあ引退しようと。自分自身で悔いのない判断基準を持てていたので、すごく潔く後悔のない決断ができました。

ちょうど長男が生まれたばかりのときにクラブから来季の話をいただいて、もちろんピッチに子どもを抱いて入場したりできればなって想いもあったんですが、それって自分ありきの想いだなと思ったんです。逆に子どもありきで考えると、他に違った形で夢の与え方ができるなと。子どもにきらびやかなものを他の形でも見せられると思ったんで、そこに関してもぜんぜん後悔はないです。もし息子と一緒に入場できたとしても、僕は試合でとんでもないプレーを見せる可能性が高い(笑) そんな姿を見せなくて済んで良かったんですよ。

今はもう長男が8歳になって下に2人の息子がいるんですけど、ファジアーノに興味があるどころじゃなく、長男は木村太哉選手の大ファンです。きっかけは出席番号が背番号と同じ19番だったことなんですけどね(笑) 3人とも、こっちが促したわけではないんですが、ファジアーノのサッカースクールにも通い始めていて、今シーズンの終盤は僕を除く家族みんなで観戦に出掛けていた。子どもたちは、バイス! バイス! と言って騒いでましたし(笑) これから息子たちにも夢を与えられる存在にファジアーノをしていきたいです。

セカンドキャリアではもっと

僕はプロになる前から先生になるプランを持っていましたし、プロになってからもその想いを持ちながらプロのキャリアを続けていた。結果が出なかったら潔く引退というマインドだったので、常にセカンドキャリアに対する意識がありました。

選手は自分に向いてないなと思いながらやっていた自分もいて、その自分と戦いながらやってきた6年間でしたし、セカンドキャリアが始まれば、そっちで誰よりも活躍してやるぞっていう気持ちもあったんです。

だから、もっと焦らないといけないです。自己分析をすると、自分にいろんなものが備わっている感覚がぜんぜんない。セカンドキャリアの仕事ももっと危機感と向上心をもってやっていかないといけないと思っています。

ファジアーノに一緒に入った同期はほとんど引退してセカンドキャリアを歩んでいますし、本田圭佑や長友佑都たち同年代で第一線を走ってきた選手たちもこれからセカンドキャリアを歩んでいく。それぞれでいろんな関わり方をしながら同じサッカー界で働くことになる人も多いと思うんで、セカンドキャリアではもっとどん欲に高みを目指して自分の価値をしっかりと示せるようにやっていきたいなと思います。

〈 了 〉

来週は千明聖典の登場です。
お楽しみに!

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