【赤鯱探訪】杉本竜士編③「自分を表現するツールがサッカーだった」
Q:改めてですが、あの時のチームから杉本選手に求められたプレーとかそのクオリティというのは、一番は何でしたか。
「結局は個で突破できるっていうところだったと思いますね。みんな上手かったですけど、僕はどっちかというとドリブルっていうものに特化して、周りと差別化できたらいいなと思ってましたし。そこはぶらさないで臨みたいなって。そこで俺がそこで丸くなってパスしてワンツーしてってならないように、なるべく自分で行けるとこは自分で行く。それがちょっと風間さんとのズレにもなったところがあったかもしれないですけど、それでも力になれた試合もあったし、そこはぶらさないでやってよかったなっていうところがあります」
Q:そこに関連してですが、グランパスに来た最初に話していたのが、「何回失敗しようが、ずっとドリブルで仕掛け続けられる選手が日本に何人いるのか。俺はそこを見ていたい」ということでした。それは名古屋にいる間に貫き通せたのか。さらにその後のキャリアでも貫き通せたのか。そのあたりの考え方はいかがでしたか。
「いや、やっぱり名古屋とかにいた20代前半の方がその気持ちは強かったですね。1回取られて、次ドリブルしに行かねえのはダセえって、なんか勝手に(笑)。これはもうサッカー観とかじゃなくて人間性の話なんですけど。お前それでドリブラーとか言ってんの? って思っちゃうんで(笑)。1回取られたぐらいでやめるなら。だったらもう終始ドリブルで、1試合通して全部取られましたけど、仕掛け続けました、の方がなんかカッケーと思ってたから。なんかそういう部分はありましたけど。でも年齢を重ねると、ちょっと賢くなっちゃいますね。良いも悪いも」
Q:杉本選手でも、周りを見て、周りを生かすような感じにもなってくるんですね。
「だから、サッカーをよく知りすぎるのもあんま良くないなと思いますよね。結局は要領良くなっちゃうから。年齢を重ねれば、こなせるようになっちゃうから。それはちょっと自分でも、最後の方にそういう部分が見え隠れしてきて、自分的にも。その時点で『俺も潮時なんだろうな』っていうのは自分では感じてたんですよ。これはもう昔だったら絶対行ってんのに、横パスしてバックパスして、って自分がいたり。それがちょっと嫌になる時はありましたね。自分のプレーを見返して、『うわ、なんかしょうもねえな』って思っていたので。そういう部分でも、もうここで辞めれてよかったって思えるのかもしれないです。なんかみすぼらしい俺で終わりたくなかったんで。まだギリギリ、まだできたんじゃないかって思われるぐらいで辞めれてよかったなって」
Q:そこはやっぱり、自分を曲げてまでは続けたくなかったんですね。
「うん、そうだと思うんです。そういうところに対して考えて結果出したわけじゃないですけど、もう性格的にこういう人間だと思うし、そう思ってほしくて。なんか自分を表現するツールでサッカーを使ってたんで、このナリでサッカースタイルがこんななんだ、みたいなのが、ダセえなと思ったから。だからそのまま、杉本竜士のサッカーとしてできてよかったなっていう気持ちはあります」
Q:さあ、この際だからなんか言っておきたい名古屋時代のエピソードはないですか。これは楽しかったな、これすごかったなみたいな。
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