【赤鯱短信】U-18GKチームの熱い絆。ゴールキーパーに生きる若者が見せる、最高のチームワーク。
実はこの回は10年間書き続けてきた「赤鯱短信」の600本目である。数はあまり気にしないのだが、これだけ積み重ねてきたコラム(最近はコラムと呼べない長さだけれど)の節目の1本が、ゴールキーパーの、しかもアカデミーの、そしてセカンドGKのことを書くというのも何だか面白いことだ。楢﨑正剛という不世出の守護神と20年以上も取材を通じて付き合い、その後を継いだランゲラックという名手の名古屋でのキャリアを見届け、高木義成や武田洋平などの趣深いGKたちからも多くのことを学んできた。キーパーだけが特別ではないが、フットボールの世界においてはやはり特殊な彼らの存在は常に取材対象として興味深く、この濱崎史揮という高校生を通しても実に沁みる会話ができるのだから、ゴールキーパーとは本当に味のある人々である。
「自分は小学校の頃にグランパスにいて(U-12所属)、中学校に入る時に(U-15に)落ちてという経験がある以上、プレミアリーグの試合に名古屋のホームで出るっていうことに対する憧れはずっと持っていて。それがまだ達成できていないところで、やっぱりプレミアに出たいなっていう思いは強くあります。でもその中で毎日の練習は大事にしようとは考えていて、自分の中でモチベーションを落とす時とかもあったんですけど、その時でも前を向いてやれてきたことが今、少しずつですけど出てきてるのかなと思ってます」
3年生の、もう終盤戦に入ってきたこの時期、濱崎はやや達観したような、でも諦めるような態度は見せずにそう語った。中学年代ではU-15日本代表候補にも入ったほどの実力があり、戻ってきた名古屋アカデミーでのプレーはさぞ嬉しかったに違いない。だが、ただでさえ生き馬の目を抜くプロ予備軍の環境である。この世代の最高峰の舞台であるプレミアリーグでのプレーに年齢は関係なく、彼の3年間は強力なライバルたちとの熾烈なポジション争いの連続だった。昨季はピサノアレクサンドレ幸冬堀尾がおり、彼の不在時には1年生の萩裕陽が出場することも多く、濱崎の出番はもっぱらプリンスリーグがその舞台に。キーパーとは薄皮を重ねていくような研鑽の日々だということはわかっていても、その3年間に様々な想いが交錯することは容易に想像がつく。
「この3年間を振り返ってみたら、あまりプレミアに関われなかったことは、やっぱりずっと大きなものとして残ってはいます。あと4試合。そこで試合に出てチームを勝たせることを目標にしていきたい、ところもある反面、1年生の(加藤)直太郎が岡山とのプレミアに出る可能性もある。萩(裕陽)もずっと試合に出ている。自分の強みはどんな状況でも続けてきたところだと思っているので、そこはちゃんと伝えていきたいなとは思ってはいます。自分がユースに入った時は、ほんとにパスもまともに出せなくて(苦笑)、ゴールを守ることなんか全然できなかった。自分が一番尊敬している、影響を受けたのはマサくん(北橋将治)で、マサくんのようなキーパーになれたかって言われたら、全然なれてないんですけど、少しずつは近づいてきてはいるのかな、と思ってます。とにかくマサくんは身体能力が高くて、ダイナミックなプレーでチームを救って、チームの勢いになって、という選手でした。そこにプラスアルファ、自分の持ち味のコーチングだったりが出せるような選手になれたらなって思ってやってきました」
普段、トップチームで武田洋平や杉本大地、過去にも多くの“控えキーパー”たちを見てきて、本当に強い人たちだと思ってきた。いつ来るかわからない出番のために準備する、それはフィールドプレーヤーにとっても同じことだが、チームによってはほぼノーチャンスでシーズンを終えることも珍しいことではない。それは実力の面でもそうだし、戦術との相性や監督の好むスタイルなど条件はさまざま。試合に出ているキーパーも失点という恐ろしいものと闘い続けるストレスがあるが、控えはひたすらに耐えること、その辛さとの戦いが続く。そこで何ができるかだ、と考えるのは容易いが、そんなに簡単なものではない。試合に出てこそプロ、プレーしてこそ選手なのだから、ベンチで待ち続けるストレスはいかばかりか。濱崎もそうした戦いを続けてきた男のひとりで、だからこそ彼の採っている立場、考え方には涙の出る想いがした。
「キーパーはピッチに立っている中で1人しか出られないので、チャンスの幅は他のフィールドプレーヤーに比べたら狭まるとは思うんです。でもその中でのキーパー同士の争いや、もちろん萩だったり他のみんなの人間性もあって、自分は楽しくやれてきたのかなって思うんです。自分1人じゃないんだなっていうのはすごく強く感じてました。そこで自分はやっぱり萩に負けてはいたけど、刺激になれる存在でいたいなって思ってきた。プレーでの刺激だったり、ピッチ外での刺激だったり、いろいろあると思うんですけど、そのいろいろなところで刺激になれる、刺激を与えられる存在にならないと、萩の成長にもつながらないし、自分の成長にもつながらない。やっぱり先頭を走っている選手が一番で、今だったら萩が日本代表に行っていて、あいつが日本を代表する選手になっていけば、自ずとそのグループ全体もレベルが高いものになっていくって考えていました。もちろん悔しく感じる部分はずっと持ってるんですけど、その悔しい気持ちを自分のモチベーションにしながら、チャンスは逃さないようにとずっと強く思ってきました。チャンスが来るかはわからないですけど、待ち続けるしかないなと思ってます」
GKチームは家族のようなものだ。自分の職業がどういうものかわかっているからこそ、ライバルたちの心境が手に取るようにわかる。とても厳しく辛い役割だから、その痛みも誰より理解ができる。特に育成年代ではそこにどうしても“学年”というものが存在し、大人の世界よりも先輩と後輩の立場の質が違ってきたりもするが、いま最高学年にある濱崎のこの考え方は仲間たちを大いに鼓舞し、焚きつけ続けることだろう。人によっては腐ることだってあって当然だが、そう言うと「そこだけは。そこだけは何としてでも失いたくなかったんで」と即答された。持ち前の明るくオープンな性格もあるだろうが、それにしたって器の大きな男である。どうやってその境地に至ったのかと知りたくなり、そのまま質問してみたが、やはりそこにも海のように深い彼のパーソナリティが横たわっていた。
「小学校、中学校と自分はあまり、一番手として試合に出ることが多くなくて、そこで考えることはすごく多かったし、その中での学びもあったりしたので。それが今の関係性につながってるのかなという風には少しは思ってはいます。でも萩の刺激になってやろうっていうのは、アイツがすぐ追い抜いていくから(笑)、もっと上に行ってもらいたいしなって思って。絶対に萩の前では、特に萩の前では、妥協した姿勢は見せたくないって思ってやってました。大学でもサッカーはもちろん続けるつもりですし、今度は僕が大学で伸びて、アイツを追い越していくってモチベーションでやっていかないとな、と思ってます」
今季の経験を振り返ると、「チームとしての結果が出るようになってきた後期の浜名戦は自分の中のターニングポイント」と教えてくれた。主戦場だったプリンスリーグでは敗戦の方が多く、失点も多く、キーパーにとっては厳しい1年だったと思う。それでも「1年間を通してずっと思ってたのは、自分のプレーが良いのはもちろんのこと、プラスアルファでチームに何かできないと、プリンスでは勝たせられないということ」と言えるのは大したものだ。話を聞き終わるあたりで思わず「立派な人だ」とこぼしてしまい、「全然ですよ!」と笑い飛ばされてしまった。彼に限らず、プレミアリーグのメンバーを見ても主力の半分が2年生の現状ではいろいろな感情を抱えた3年生はいるはずだが、それでもこのチームは一体感をもって活動し、良い雰囲気をまとって戦いに挑めている。あるいは濱崎のような選手がいるから、と思いつつ、全員が好漢だからだなと名古屋U-18を見て思う。
今年も冬がやってきた。松嶋好誠の言葉を借りれば“グランパス生活”を終える者と、つなぐ者たちが見せるサッカーの機微を、我々も最後まで楽しみたい。